ゴン太ごめんね、もう大丈夫だよ

『ゴン太ごめんね、もう大丈夫だよ』光文社刊
(福島第一原発半径20キロ圏内犬猫救出記)
を読んでいたたまれない気持ちになった。それほど胸の痛むつらい記録
でもあった。同時に生き物たちの素晴らしさも感じた。そしてこのボランティアの方
たちの行動…、今目前にある事実に向かって、心情を行動へ移す実行力に感じ入る。
帯に記されているその内容の一部を紹介しよう。
○野犬化した犬たちに襲われながらも、飼い主の言いつけ通りに家畜と家を守り
 つづけた犬
○瓦礫の下に埋められた主人に必死でほえ続け、命を救った犬
○原発の敷地内で座ったまま、死んでいた犬
○つながれて息絶えていた柴犬
○捕獲器の中で4匹の赤ちゃんを産んでいた母猫
○ビニール、軍手を食べて腹部が膨れ上がっていた犬
○水欲しさに側溝に入り、抜け出せなくなって死んだ牛たち etc.
現地での悲痛な経験、あるいは感動的な経験が、ボランティアの方たちの
淡々とした記述で次々書かれていて、参加者の一人のカメラマンの写真はその
裏付けとして胸を打つ。
ゴン太は、連れて行けずに避難した飼い主の最後の言葉を守ったのか、納屋
の隅に隠れておびえていた犬だった。彼は家の牛や鶏を守り続け、そのためか
野犬化した犬たちの群れに襲われて全身傷を負い、首半分はざっくり怪我して
生血をまだ流していた状態だった。でも危ういところでボランティアの方
たちに見つかり、病院に運ばれ、なんとか安楽死を免れて、治療を受け、回復へ
向かい、飼い主とも再会できたとか。この犬は、餌もなくなり、納屋の後ろに積ん
であったかんな屑だけをたべて生きながらえていたとか。
またある柴犬は飼い主以外は手を触れさせないらしく、エサも水もないまま
繋がれて死んでいた…とか。たくさんのけなげな犬たちがいる…。
また豚小屋ではしずかに寄り添って飲み水も餌もなく死んでいった豚たち
がいたらしく、私は賢治の作品を思いました。
この方たちは手を出せない犬などには餌のみあたえ、救い出せる
犬たちはケージに入れて救出し、病気のものは医者に預け、もと飼い主
を探したり、貼り紙で知らせたりして、その間無料で保護したうえ、一時預かり
ボランティアや里親ボランティアを今も探している。身銭を切っての仕事
なので、カンパももとめている。まだまだどれだけの生き物が見捨てられ
ているか、仕事はこれからまだまだ続くとのこと。
さいごに著者のことばを引用します。
『こんなに大変な時に犬猫じゃないだろう。遺体の捜索もまだできていないんだ』
こんな声も聞こえてくる。だが私は思うのだ。たった一つの小さな命さえ救え
ない者が、どうして人を守れるというのか。…犬猫の命さえ助けられない社会
が、どうやって人間の命を救えるというのだろうか。そんな疑問を禁じ得ない。
…今こそ、普遍的なテーマとして命を考え、この世に存在するすべての命を
尊重する社会を求めるべきではないだろうか。
それに改めて気付かせてくれたのは、他でもない、20キロ圏内で出会った
生き物たちである。
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この本の出版は 光文社(1,143円+税)です。少しでも多くの方に読んでほしい
と思います。私はボランティアに行けないので、せめてカンパに行きたいと思います。
本は一冊ですがお貸しすることはできます。

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