七月

 田代芙美子さん発行の「泉」66が届いた。充実の内容。いいなと思う作品がいくつもある。田代さんの連載エッセイ「マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の光と影に」はもう45回目だ。綿密な考証と、のびやかな筆の運びに魅せられて、毎回楽しみに読ませていただいている。彼女のプルースト研究の師である井上究一郎氏には、私も大学時代に教室でプルーストの講義をきいた。そのころちょうど出始めたこの翻訳を毎月一冊ずつ貴重品のように購入した頃の胸のときめきを思い出す。
 今は井上氏も逝かれた。いつか新潟の田代さんのお宅を伺っ折、「失われた時を求めて」のゆかりの地を訪れた際のエピソードなどを、彼女のお手製の梅酒をご馳走になりながら伺ったことなどを思い出す。忘れがたい愉しい時間だ。
  
 ここでは66号の巻頭に置かれた財部鳥子さんの詩をご紹介したい。このような詩を読むと、なんの説明も不要。ただ極上のおいしい一品に出会えた気がする。一期一会。それもさりげなく…。なんて洒落た詩だろう。
                七月          
                            財部鳥子
          
           七月の空気は裸
           
           恥ずかしいから蓮の池に隠れている
           大きな葉のしたから蕾を高々と掲げて
           みんなに見せている
           
           たいていは朝の水辺でのこと
           すっきり伸びた茎の先の蕾がやわらかい指を開くとき
           花のてのひらが
           木霊を隠していたことが分ってしまう
           一輪 ひらいて ぽん 幽かなおとがして
           山の空気は宙へ帰っていく
                      
           祖母は百歳のてのひらを
           そっと 蕾がひらくときのように開いてみせた
           無数のしわに刻まれた手のひらから
           七月の無音のおとが空に放たれた
           しずかに目をつむってお聞きなさい 
           
 

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