something6より

このところ雑事に追われ忙しく暮らしていて、いまごろになって、鈴木ユリイカさん発行の「something6」をゆっくり読むことができ、そのなかでいくつもの作品に出会い、いつもながらのようによい刺激をいただくことになった。今日はそのなかから、以下の作品を引用させていただくことにしたい。
              夏茱萸     
                           尾崎与里子
            かぞえていたのは
            梅雨明けの軒下の雫と
            熟しはじめた庭隅のグミ
            そのグミの明るさ
            私は〔老女〕という詩を書こうとしていた
            眼を閉じるとひかりの記憶に包まれて
            すぐに消え去ってしまう いま と ここ
            時間のなかで自画像が捩れてうすく笑う
           
            初夏の明るさに
            この世のものでないものが
            この世のものをひときわあざやかにしている
            母性や執着の残片があたりに漂って
            耳もうなじも
            聞き残したものを聞こうとしてなにかもどかしい
            それはふしぎな情欲のようで
            手も足も胸も背中も
            そのままのひとつひとつを
            もういちど質朴な歯や肌で確かめられたいと思う
            刈り取られていく夏草の強い香
            ひかりの記憶
            たわわにかがやく夏グミの
            葉の銀色や茎の棘
           〔老女〕はきらきらした明るさを歩いていて
             ※      ※       ※
 私は母の死後、このようにもvividに失われた彼女の時を生きなおしただろうか。とくに2連目の、草
いきれのように匂い立つ、生と死をゆきかう時間の感触。よみがえる時のきらめき。このような詩に出
会うと、私にはいまというこの一瞬さえ惜しまれてくるのだ。
 また「いとし こいし」も楽しく秀逸なエッセイだった。
      
      

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