異邦人たちのパリ

 詩が書けないのに(書けないから?)、新国立美術館の「異邦人たちのパリ」展を見に行った。今日はミロの「絵画」という作品の前で思わず立ち止まってしまった。いま与えられている詩のテーマとつながっているので、刺激を受けたのだ。夢や無意識の表現ということではミロの作品は示唆的なものだった。その他ではパスキンの人物画がおもしろく、ジャコメッティの意外性のある彫刻作品にも出会えた。これらはポンピドーセンター所蔵作品なのだが、かつてパリで見た筈の作品も初めてのような気がして、まじまじと見ることになった。
 それにしても私は現代の美術作品のほとんどに、観念的なアイデアや仕掛けをまず意識する羽目になり、脳の中の出来事として納得してしまう傾向があり、これはやっぱり自分が美術の現場にわが身を置いてない故かと思ったりした。現代詩もそうだが、現代芸術が一般性を得ることの困難さは共通しているのだろう。直接的な身体性というものが追放されていって…、だが同時に、そこに別次元の興味を感じる自分もいるということなのだけど。

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