上原綾子 ピアノ・リサイタル

この辺りは、いま、もみじが最も美しい。風と雨が来ると一度に散ってしまいそうな気配を持つもみじである。その下に立つと怪しげな感じさえして、昔の人が猩々やら何やらが表れ出ると感じたのも分る気がする。紅葉狩りなどといって・・・。
昨日、芸術館のピアノ・リサイタルを聴きに行った。曲は前半はモーツアルト(ソナタ第4番)シューマン(クライスレアーナ)、後半はスクリャービンの曲が多く、最後はラフマニノフ(ソナタ第2番)だった。スクリャービンを私はほとんど知らなかった。ラフマニノフは有名なピアノ協奏曲などでなじみだが、同年代のロシア人だというけれど、不思議な感じがする曲だった。ピアニストも高い技術と理解力が要るのではないかと思われる抽象性を持った曲のような気がした。音楽鑑賞としても初歩である私だから当っているかどうか分らないが、とにかくそういう思いを抱きつつ、白いコスチューム姿の、清楚で若い上原さんの流れるように情熱的な演奏に耳を澄ませた。

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庭に来る鳥(アオジ)

今朝も落ち葉かきをしたが、それを裏に運んで振り返った時、アオジと出会ってしまった。
箒を置いたままにしていたが、鳥がいるので近づけず、「達磨さんが転んだ」の鬼に見つめられている時のように動けなくなってしまった。
この庭に、昔はもっとたくさん鳥が訪れていたが、今は少なくなった。メジロ、シジュウカラ、時々ウグイス、冬場はヒヨドリ、ひまわりの種を出している時はカワラヒワが大勢で来ていた。訪れる鳥について書くと長くなるので止めるが、アオジは変わった鳥である。私とぶつかってもすぐには逃げないのである。
鳥たちはたいていお喋りしながらやってくる。声高ではなくても、チッチッという風に・・・。ところがこの鳥はほとんど声を出さず、しかも鶏のように地面を啄ばんでいるのである。
ホホジロ科というので確かにホホジロに似ていて、お腹の方は黄緑色、背中はそれに雀色がまじったようで、縞々の感じがする。人を恐れない感じで、なかなか逃げない。多分樹上の木の実ではなく、地面に落ちているものを啄ばんで食べているのだ。だからというわけではないのだが、庭をあまり綺麗にしない方が、自然になるべく任せたようにするのが良いと、怠け者の口実にしている。
戸をあけて出ると、アオジがいたりすると、ゴメンゴメンといって、顔を引っ込め、暫く経ってから出たりする。
今日も、暫く動かないままにしていたが、彼(彼女)はなかなか立ち去らず、水を二口ほど飲み、叉地面に降りて、私の方にやって来るのだった。寒いので早く行ってしまいなさいと思いつつ、じっとしていたのだが、近所のシャッターの音がして、やっと飛び立ってくれた。
ペットを飼うと、ご主人様になるというより、召使になるというのが普通のようだが、この場合もそうだなあ・・・・と笑っている。
本によれば、アオジは繁殖期には枝先や草にとまって、ゆっくりしたテンポでうつくしい囀りをするとあった。声を聞いてみたいものだ。これらから考えても、のんびりした鳥のようだ。

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隣組について

今日は2ヶ月に1度の町内会クリーン・デイであった。
でも朝8時に清掃の準備をしていくのは、ちょっときびしい。
今のところ私は毎朝のように道路の落ち葉を集めているのだけれど、これは自分のペースに合わせてやっている。しかも今朝は一番の寒さになった。どうしても皆より遅れてしまう。
次回は冬場の2月だけれど、厳寒の時期、そのときはもう冬枯れで落ち葉もないわけだから、必要ないのではないかと、大きな声で言ってしまった。
もちろんこれは自主参加で、都合があれば出なくてもいいし、ぜんぜん出なくてもかまわないのだ。しかしそういうわけには行かない。また出ないとちょっと言い訳をする。
確かに共同で作業をするのはいいことだ。私など植木を切ってもらったりして助けられるし、近隣の助け合いにもなる。
しかし「隣組」について、戦時下を少し知っている私には警戒心がある。
昨夜テレビで山田太一のドラマ「終わりに見た夢」を見た。現在を生きる平均的な家族4人と友人親子2人が、タイムスリップして昭和19年に移されてしまい、そこで生きるという設定である。終戦間近の餓死寸前の物不足の生活、その日常や不便さは、多少はその頃のことを知っている私にも到底耐えられないだろうと思った。しかしもっとも耐えられないであろうと思ったのは、そういう物質的なことより、人間一人一人に覆いかぶさる監視の目である。それは隣組という、細胞のいたるところに張り巡らされている毛細血管のような役目を果たしている存在があるためである。それをバックアップしたのが軍である。
それゆえに、いろいろ生きる知恵をしぼって何とか一家で暮らせると思ったとたん、その網にかかって逃げ出さねばならなくなり、転々とする。
今無残な児童の殺害事件などがあって、近隣の目や協力が必要になっているけれど、それが必要以上に、異分子を排斥する形で行われると危ないなあと思う。犯罪のためならば有効であるにしても、思想の取締りというようなことにも、すぐ当局はその網を使ってくるのだから。
戦時中、「とんとんとんからりと 隣組・・・♪」という歌がありましたよね。
でも今日は寒いので、そそくさと作業を終えて、一時間もしないうちに皆引き上げてしまいました。
めでたし めでたし。

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映画「春の雪」を観る

藤沢の東急ハンズに行ったついでに「春の雪」を観た。
これは三島由紀夫の晩年の長編連作小説全4巻の第1巻目に当たるが、全体を貫くテーマはここに出ている。
三島の作品については、通り一遍の知識しかないが、惹かれる面と反発したい面を持っている。禁断の恋(これは東西共通で、日本でも「伊勢物語」から「源氏物語」、姿は変わっても近松の心中物に引き継がれた恋愛の本筋である)と転生がテーマである。
私はそれらの内容よりも大正という時代をタイムスリップして味わいたい、特にここでは上流階級(文化の贅が尽くされている)の住まいや日常生活が映し出されるはずであり、それらに対する興味の方が強かった。若い監督とそのスタッフによる美術や衣装やセットによって、一応満足が得られた。
大正時代は、急激な近代化を押し進めた明治時代がやっとある成果を上げてほっとした時代、日清日露で戦勝国となり自信も金も何とか潤ってきて、文化的にも一種の爛熟期、デカダンの時代でもある。しかしそれもわずかの間で、次には昭和という戦争の時代に突入するのである。
この映画でも重要視されているのは夢日記である。夢日記で始まり、叉それで終わる。人と人の結びつき、その究極である愛も、その夢の中で果たされるしかないのであろうか。この世に生まれ変わり生き返って、転生はするが、それもまた夢であり幻視であり、現世はやはり荒野、砂漠であるのだろうか・・・・。
今原宿の若者たちの間で、ファッションとしての着物が流行っているという。羽織1000円、着物も5000円くらいで手に入れられ、ブーツをはいたまま着物を着たり、勝手な愉しみ方をしているという。
竹下夢二などで象徴されるように、大正時代は庶民も爛熟した文化の香りを愉しんだ。しかし軍靴の足音はひしひしと近づいていたのである。その大正時代に似た雰囲気を若者たちは好んでいるようだ。もちろん私もまたデカダンには魅力を感じる。だが今この国には、ヒルズ族と言う成金の上流社会が形成されていると同時に、下流という言葉が流行りだした。社会や政治も変になってきている。何か大きな恐ろしいものが近づいてこなければいいのだが・・・。

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もみじが美しくなりました。

急に風が変わって暖かくなり10月の気温とか、今朝雨が降って強い風が吹きました。
向かいの雑木林のもみじも、今が一番美しいようです。くすんだ赤色の桜やケヤキの褐色に混じって、クヌギやコナラの黄色が陽を浴びて輝いています。
ここの狭い庭でも、ハゼ(もう散っています)と3本ほどのカエデの紅色が急に美しくなりましたが、裏にある2本にブナの、少しずつ黄葉していたのがやっと全部が金色になったと思っていたら今朝の風でほとんど散ってしまいました。この木の下の地面は庭内なので積もるままにしておけば良いのですが、狭い割には道路に面した部分が多いので、これから毎日落ち葉を掃き集めねばなりません。草花の上に落ちた葉っぱも取り除かねばなりません。これらも一仕事です。
先日テレビの再放送とかで「ターシャ・チューダ 四季の庭」が映されていましたが、30万坪の花に溢れたれたアメリカの絵本作家の庭、まさに夢のような理想の庭。
私など確かに緑に囲まれているので、恵まれているといえましょうが、数えるほどの木々に振り回されて音を上げているのですから、やはり能力の差、人間の違いだなあと思ったりしてます。

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タンゴコンサートに行く

書きそびれたことを少し書きます。ちょうど一週間前になりますが、タンゴを聴きに行きました。
門奈紀生ひきいるオルケスタ・アストロリコ楽団、アストロリコとは「素晴らしい天体」の意味のスペイン語の造語で、バンドネオン奏者のアストル・ピアソラはじめ3人の名手に因んでの命名だとか、クラシックとは違った懐かしく切なく熱っぽい雰囲気の魅力で心が揺さぶられました。
バンドネオン奏者は門奈氏のほか4人、その他ヴァイオリン,ビオラ,ギター、チェロ、コントラバス、ピアノと総勢若手11人を率いています。本場南米からもレギュラーメンバーとして歌手、友情出演のダンサーのカップルも加わっての素晴らしい舞台でした。聞きなれたものも混じっていて、歌手のロベルト・デ・ロサーノ氏は、パーキンソン病だそうでマイクを持つ手が震えるのでご容赦をといっていましたが歌唱力の衰えはなく、さすがアルゼンチンの歌い手で心を震わせ、同じ地の出身ホセ・マリア&ラウラのペアのダンスも、洗練されたエロチシズムとはこういうものかと思わせるような、肢体の美しさはもちろん、足のさばきや表情の、端正で技巧的な振りの数々に感嘆させられました。
小ホールとはいえ舞台の上でのタンゴはどんなものなのだろうと、イメージできませんでしたが、なかなか楽しいもので、最後は聴衆も歌にあわせて手拍子で参加して盛り上がりました。実はアルゼンチン大使も招待されていたようで、最後に紹介され拍手で迎えられました。
門奈氏は本場でも強い支持を受けているとのことで、日本では引っ張りだこ、これから岩波ホールで始まる映画「二人日和」の音楽も手がけたのだそうです。それも楽しみです。
 

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台峯(田んぼについてーつづき)

台峯が残ることになったのは嬉しいことですが、市の管理になるため、その残し方が問題になります。隣接地に中央公園があり、大きく緑地を残し市民の憩いや散策に供されることになった事はそれはそれでいいことですが、この地をそれと同じに、公園的に整備されては何もならないからです。
日曜日に歩いた時も、車道からそれて、細い道に入ろうとしたとき、様子が大きく変わっていたことに声を上げてしまいました。内部に手を入れるために車が入れるようにと4メートル道路を作ったり、駐車スペースを作ったりすることは仕方ないことでしょうが、その調子で機械力がぐんぐん入ってくるのではないかと、不安を覚えました。
いえ、そんな話よりここでは田んぼの続きを書くことでした。
ここの田んぼの水は、川から引くのではなく、山肌からじわじわとにじみ出てくる「絞り水」によってまかなわれています。谷戸には水場があり、それが流れになっていますが、それも同じように周辺の山肌から出てくる「絞り水」が集まったもので、ちゃんとした水源のある川ではないのです。ですから乾燥期の冬場でも田んぼは湿っています。棚田なので、水気も下の方に行くに従い少なくなり、乾いてきます。そういう微妙な上下の湿気の違いがまた多様な生き物を生息させているのだそうです。
さてその田んぼですが、ここの2箇所のほか中央公園にも1つあります(もう一つ笛田にもあるとのこと)。この公園の田んぼではボランティアの人や子どもたちの体験学習のようなもので田植えから収穫などをやるそうですが、その米つくりに米の本場の青森からわざわざやって来た人がいたといいます。それはあちらでは収穫本位の大規模農業であり、米つくりの本当の面白さがないからだと言うそうです。
「利活用」の時代だからと案内者は言います。「利」がないと物事はすすまず、また残すことができない・・・と。この田んぼを耕している人も、採算を考えたらやってこられなかったでしょう。米つくりもコンピュータで・・・という傾向がすでにあるそうです。
大金持ちがいて、この田んぼを買って、道楽として残させてくれないかなあ・・・など言い合ったものです。
でもホリエモンさんは、田んぼよりコンピュータ、インターネットでしょうね。
こんなことを書いているのが、まさにそのインターネットというのは、まったく自己矛盾!ですけれど。

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台峯(田んぼについて)

台峯といっても、保存が決まったのは倉久保谷戸といわれる谷間の湿地帯とそれを囲む斜面だけであって、その周りの峯にあたる部分は皆開発の惧れに晒されています。
ここに残る二つの田んぼもその部分に属しています。
新聞に、横浜にある蛍の生息地で、沢山の卵が死んだと出ていました(その新聞を探したのですが、見つかりません。確か昨日か一昨日くらい)。吹きかける湿気が多すぎたのだそうです。すなわちそこでは蛍を管理しながら育てていたのです。いわゆる魚を大量に養殖するように、大量に生殖させていたのでしょう。
蛍は流れがあり、田んぼがあって初めて自然に発生するのだそうです。ここの田んぼには蛍がいます。夏に蛍を見る会(夕方から谷戸に入るので一人では怖い)ももたれましたが、残念ながら出席できませんでした。
蛙もそうですが、卵を産む水場(水のある田んぼ)があり、棲み家としての土手や森があるから生きていけるのです。自然の田んぼには畦があり(土があり、草があり、そこにはいろいろな昆虫がいる)、水があります。そういう環境があって、初めて蛍は自然に姿を現すのです。蛍をたくさん見たいために大量飼育するなんて、あまり意味がないように私には思えます。それは環境を守るというより、それらを見たいという人間の欲望の延長に過ぎないのではないか・・・と。
二つのうち最初の田んぼは、梶原の住宅地に至る車道のそばにあります。もう一つは車道からそれて山道に入ったところにあって、ここの半分ぐらいですが、どちらも段になっています。稲刈りは終わって、黄色の鳥よけの網がまだそのままになっていました。網が張れるのも狭いからで、また網を張らなければ皆鳥に食べられてしまうからです。田んぼだけではなく畦の手入れ(これが昆虫や植物の生息に、これまで意識されていなかったことですが、重要な役割を果たしていたのだそうです)その手間と労力は大変なもので、この二つの田んぼの持ち主は高齢者。二つとも風前の灯火です。
この田んぼについて、もう少し話したいのですが、それは次回にします。

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台峯を歩く(もみじについて)

冬の寒さの秋空のした、台峯を歩いてきました。
「台峯」は、最近やっと緑地として保存が決まった湿地帯の谷戸で、貴重な生物体系を保存している県内でも残り少ない質の高い自然です。
月一回、歩く会がもたれていて、この保存運動の母体として活動してきていて、私も何年か前から時々参加、最近はなるべく歩くようにしています。
午前中2時間半ほど、全身を耳にしてのゆっくりした散策ですが、季節の推移が感じられると同時に地元に密着した案内者の説明にいろいろ教えられます。専門的というより、自然そのものに入り込んでの観察、自然と人間との係わり合いを考えた意見が聞かれるからです。
一回歩いただけでも沢山学んだこと、話したいことが出てきますが、それは追い追いすることにして、今日は前回裏山の紅葉について書いたので、そのことについて書きます。すべて学習したことにすぎませんが、この自然を守る活動に(私は享受するだけで何もしていないので、書いて知らせるだけでも)何かの役に立つのでは・・・と思い、書きます。
この辺りの紅葉は、あまり綺麗ではないなあ・・と思っていましたが、その理由が分りました。
特別な場所を除いて、山を赤く染める楓が少ないからです。赤いのはせいぜいハゼの木。草紅葉。しかし黄葉する木は沢山あります。ケヤキ、シデ、イヌシデ、コナラ、ミズナラ、その他いろいろ、広葉樹は皆色を変えます。そしてその黄葉する時期がそれぞれ違うので、黄葉、褐葉の期間が長いのです。
この辺り、大きく言えば鎌倉のもみじの一番良いのは12月はじめ(昔は終わり頃だったが、温暖化でとの事)だそうです。何となく感じていたのですが、そういわれてみて、初めてなるほどと思いました。
もみじの季節、地味だけれどもしっとりした色合いの低い山々を、長い期間楽しめるのがここの取りえのようです。
春の芽吹きから新緑の季節についても同じことが言えます。北国の短い春と秋とは対照的だと言うことでしょう。

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小春日和に

今朝は真冬のような冷え込みとなった。
10時過ぎから少しずつ陽が差しこんでくるが、午後からまもなく、また去っていってしまう。かつては南西に家がなかったので、午後からは夕方まで太陽が望めたのだが・・・。
けれども入ってくる日影は長い。それに手足を差し伸べながら、陽の恵みのありがたさを思う。
わが庭には、今ツワブキの花がたくさん咲いている。それからホトトギスの花。お隣をはじめ山茶花もあちこちで美しく咲いているのを眺めながら、外は暖かそうなので、六国見山に上った。丘陵はやっと褐色に黄色にもみじし始めたくらいである。この辺りの紅葉はそれ程色鮮やかではない。ここを限って言えば、秋よりも春の方が私は好きだ。早春、緑が兆しはじめて次第に薄紅色がまじり、若草色と紅色の濃淡グラデーションが柔らかくやさしく、はんなりと低い山並みは身を横たえる。
遠く海には靄がかかり大島は見えない。箱根や富士、丹沢などの山並みも逆光と薄い雲に隠れておぼろである。これら自然は、私がこの世にいなくなっても、依然としてこのように美しく在り続けるのだなあ・・と、思ったりする。この季節だからそう思うような気がする。春だとそうは思わず、何かいいこと起こらないかしら・・などと、少しは心がうきうきするようだ。
帰り道、ハゼの木(ウルシ?)が一本、見事に紅葉しているのが眺められた。この辺り赤くなる木は少ないので目立つのである。

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