「パタゴニア」社について

最近、新聞が大きく様変わりしたように感じられる。ニュース性や物事の真実に迫ろうとする真摯さや意気込みが薄れ、情報の多彩さや読み物的なものが多くなり、読者の関心には敏感で、その参加やサービスにあれこれ努める姿勢になった気がする。もちろんこれはインターネットなどの急速な発展で、新聞も生き残り作戦で大変なのだと思うけれど、情報があふれる割には私にとっては読みたい部分が少なくなり、資源ごみばかりをやたら増やしている有様である。
その読み物的な附録版の「be」のBusiness版(土)の一面は、創業者や起業家が紹介されていて、関心のない私は大抵素通りしてしまうのだが、この日(’07,6.9 朝日)は「おや?」と思った。
パタゴニア創業者、イヴォン・シュイナード(68歳)さんが、サーフィンしている姿が出ていた。
「パタゴニア社」
この会社について、私は’07,9,23のブログ「ハンノキのコンサート(2)」に書いているので、関心のある方は見てくださってもいいのですが、これは古いお寺のお堂という自然に囲まれた中で開かれるコンサートであるが、この日は自然保護、地球の環境を考えるをテーマにした体験談や講演も行われたときで、そこでこの社の話を、初めて聞いたからである。
今日、地球の環境破壊の元凶は、近代化でありそのための経済活動であるが、私たちはそのなかに現実として生きているのであり、それを止めるわけにはいかない。(消費もその一端を担う大きな経済活動)そして経済活動自体が、つねに成長と効率と利益を上げねばならないという宿命を持っているともいえる。しかしその観念を大きく変えて、しかも会社として存続し続けているこの社は、これからの産業や経営の在りかたを示唆していると思え、とても関心を覚えたのだった。
その社の在りかたは、新聞を読んでくだされば分りますが、ちょっと簡単に紹介だけしておきます。
先ずその企業理念は、「私たちの地球を守る事を優先する」ということで、そのため「成長のための成長、利益のために利益は追わない」、「最高の製品を作り、環境に与える悪影響を最小限に抑える」、「ビジネスを手段として環境危機に警鐘を鳴らし、解決に向けて実行する」というのである。実際の売り上げの1パーセントは自主的な「地球税」として寄付し、またクラフトマンシップ(職人気質)を追究し、個人的な利益も多く地球環境保護のために醵出しているようである。
もちろん社員も理念に沿った生き方をさせ、フレックスタイムであり、品質の高さと自主性による責任感、協調性で効率を上げるというやり方で、「ハンノキのコンサート」で話したのも、その日本社員であった。
最初この社の名前を聞いた時、会社の名前だとは思わず混乱したのだが、確かに南米のこの地方に起こった、大きな自然環境危機に直面した事から、この会社〈この地域を自然公園にしようというプロジェクトから発する〉の名前も付けられたようである。
社長は昔はクライマー、ヨセミテ渓谷の大岩壁にルートを切り開いた一人で、自ら磨きだしたハーケンを売り出すことからビジネスを始めたようだが、(その後それが岩を傷つけることを悟ってその製造をやめる)、新聞の画面でサーフインをしていることからも分るように、アウトドアスポーツ用品製造・販売などのようである。
私はそういうスポーツはダメだけれど、こういう企業が増えることを願います。
社長の言葉、「地球の将来について私はとても悲観的ですが、何もしないことが一番の悪です。私には、会社というパワーがあります。私にできる最善のことは、この会社を世界を変えるツール(道具)として使うことです」。
ブログにも書いたが、この社について知りたいと思っていたそれが果たせた。こういうことがあるので、やはり新聞を読むのはやめられない。

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初夏の「ゾリステン コンサート」。

みるみる緑がふくらんできました。
あまりに伸び放題にしていた庭木を、思い切って切り詰めてもらったのですが、またぐんぐんと枝葉をのばしているのを見て、植物の生命力のたくましさを今さらのように感じています。しかしその伸び方の違いがとてもはっきりしていて、ここにも生存競争のきびしさが窺われえます。すなわち邪魔だと思っている木の方がすぐさまぐんぐん伸び、伸びて欲しいものはなかなか新芽すら出さない。人間の勝手などに左右されない、彼らの掟があるわけです。雑草と名づけられるものが、いかに逞しいかというのも、この時期よく分ります。
こんな日の先日、コンサートに出かけてきました。実はこの会が結成されて15年を迎えるとかで、弦楽奏者16人ほどからなるこの演奏会は最初から最後まで和やかな雰囲気に包まれていました。
曲目は
E.H.グリーク   組曲「ボルベアの時代より」 作品40
F.シューベルト  ヴァイオリンと弦楽合奏のための
                  ロンド イ長調 D.438
F.シューベルト(マーラー編曲)
                 弦楽四重奏曲 第14番 ニ短調 「死と乙女」 D.810
グリークの曲はリズムカルで、舞曲の楽しさがあり、チェロのソロが気持ちよくひびきます。またシューベルトの四重奏曲はアダージョのゆったりしたところや軽快なところで愉しく、独奏者は漆原朝子さんで、素晴らしい音色にうっとりさせられました。これはシューベルトの唯一のヴァイオリン独奏と弦楽合奏の曲だそうです。
「死と乙女」は、身体的衰えを感じ始めた頃の作品だそうで、シューベルトの絶望感や悲しみが美しい音色の中からほとばしり出てくるような曲ですが、それゆえに泣いた後の安らぎのような快さを感じます。
  
今、一番昼が長い季節。まだそれほど暑くない、初夏の宵(この言葉を気象庁はあいまいだとして使わないことにしたとか・・)はゆったりとしていて、好きな時間です。でも少しだけ悲しみを底にたたえた・・・。

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ホトトギスの初音を聞く

終日、しとしと梅雨のはしりのような雨でした。
朝、ホトトギスの声が聞こえてきたので、なにやら心に灯が点ったように明るくなった。
初音! と思ったからである。どうして季節の最初に耳にしたとき、嬉しくなるのだろう。
ウグイスはもう毎日朗々たる声で鳴いているので、ああ又鳴いている、と思うくらいになってしまった。
全く、勝手なものだ。申し訳ない、ウグイス君。
ホトトギスは、細かに降る雨の中で、一日中鳴いていた。
実は、「台峯を歩く」会で先日の20日(日)に歩いてきたのですが、ブログに入れないままになってしまっていた。でも来月の会は、予定が入って休む事にしたので、この日のことを簡単に記しておくことにします。
この日も、道端の春の花たちにたくさん会うことが出来ました。菊の花に似たハルジオン、そしてヒメジオン、その見分け方を教えられました。良く似ていますが違う種類で、咲く時期も少し違う。一番よく分るのは茎を触ってみて、中が空洞なのがハルジオン。花自体はとてもよく似ていますが。そのほかスイカズラ、卯の花、マルバウツギ、ハコネウツギ、ノゲシ・・・など。
木の花では、ミズキが終わって青い実になり、同じ白い花を咲かせるエゴノキも散っているところ。
最初の田んぼに着きますと、嬉しい事に今年も生き残っていたようで、苗代が作られ、田んぼには水も張られていました。傍らには黄ショウブの花も咲いていて。水溜りにはオタマジャクシの姿も見られ、シュレーゲル蛙も鳴いていました。石の上に何やらいたのは、カルガモで、一羽だけ蹲っていたのですが、水が少ないのでオタマジャクシのほとんどはその餌になってしまうだろうとのことでした。とにかく今年も稲田が見られるのは嬉しいことです。
面白かったのは、「落とし文」を教わったことです。ケヤキの葉をくるくると巻いて、そのなかに潜んでいるゴマダラ・オトシブミ。栗やクヌギが多いそうですが、オトシブミも種類が多くて、巻きかたもいろいろなのだそうです。
第二の田んぼは、もう絶望的でした。辺りは大開発、元田んぼには一面のクレソンが丈高くなり、白い花を咲かせていました。
谷に降りての湿地帯のハンゲショウは、まだ青い葉で、白くなるのはもう少し先のことです。
水場にはヤマサナエというトンボの姿が見られました。これはオニヤンマと似ているのですが、胴が短いのです。何事も知れば知るほど奥が深く、知らないことがたくさん出て来るものですね。興味は尽きることがありません。
今日は簡単に、これまでとします。

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「東京カテドラル聖マリア大聖堂」でのヘンデル「メサイア」

ブログをすっかり怠けていました。
異常なジグザグ模様ながら季節はすすみ、緑の季節になりました。
いま黄色いのは竹林とシイの木などの常緑樹で、これから日ごと緑が深まっていきます。
今年もたくさん咲いたシャガやエビネの花はとっくに終わり、サギゴケは盛りをすぎ、今はユキノシタが満開です。今年も筍は出ましたが、何しろ狭い上に放っておくばかりの庭なので、出てくるだけでも大したものです。
このようにこの家の草花は、シダ類があちこちに芽を出すことからも分るように皆日陰に適したものたちで、向いのバラ一杯の庭とは対照的で、お向かいさんとも「お互い陰陽ですね」、と言ったりしていますが、まさに暮らしそのものも同様だなあ、と思うのでした。
そういう日常とはちょっと違った感じですが、カトリック大聖堂、丹下健三が設計した有名な教会へ音楽を聴きに出かけてきました。若い友人のTさんが所属する例のコール・ミレニアム合唱団も出演するからです。
ヘンデルのオラトリオ『メサイア』は、当時でも大変有名であったようで、あの「ハレルヤ」の合唱が入った、イエスの誕生から受難、復活までを描いた壮大な宗教楽劇、モーツアルトもこれを編曲して、隠れていた魅力を引き出したとか・・・これは付け焼刃的に「毎日モーツアルト」で最近知った知識などを動員して、鑑賞の手引きとしたのでしたが・・・。
この曲の全曲を目の前で聴くのも初めてながら、大聖堂の中で聴くというのも始めての経験でした。
音響的にどうかというのは分りませんが、教会の中心部に向って円錐形にそそり立っていくむき出しのコンクリートの壁面、それにそって独唱や合唱が沸き立ち吸い込まれていくような感じで、なかなか良いものでした。聴衆もあの木の長い椅子の部分の他にたくさんの補助椅子が並べられていましたが、ほぼ満席で、復活と高らかな勝利宣言へと高まっていく音楽の効果もあって、最後はブラボーという声があちこちから上がり、拍手も長く続きました。
でも、ブラボーといっていいのかな、とちょっと思う。それは客観的な評価であって、ほんとうのクリスチャンであれば、感極まって涙するのだろうか、そういう力を持っているにちがいない。信仰のない私はちょと戸惑うと同時に、そういう人の意見を聞いてみたい気持ちになりました。
聴く方もなかなか充実したひと時でしたが、合唱団の一人として歌っている方はきっと感動をもって歌い上げたに違いないと思います。ここに至るまでのいろいろな雑事、ここに至るまでの猛練習、多くは職を持った人たちで、その間に練習を重ねているようですから。
上気したようにも見える顔で引き上げていく団員の人たちに大きく拍手!
もう真夏のようになった日の、涼しくなってきた夕べのひと時でした。

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「公園」になってしまった六国見山

散歩道であるこの辺りが、最近整備されていたのは目撃していましたが、いよいよ公園としてオープン(?)しました。森林公園と銘打って、立派な看板も出来、ベンチや水飲み場も設置され、駐車場がないだけいいのですが、複雑な気持ちになっています。山道は階段状に拡幅されて、ブッシュも整理され、樹も伐採されて見晴らしがよくなり、たしかに気持の良い空間になりましたが、私には魅力が薄らいでしまいました。市はずいぶんお金をかけたようで(総工費4000万)、たしかに床屋に行ったようにサッパリしましたが、麓には歌壇向けの花なども植えられて、いかにも小奇麗な公園風、昔のもしゃもしゃ髪ながら個性的な風情がなくなってしまったようなのです。
私の個人的なわがままでしょうか。ここは今まででもガイドブックにも載っているオオヤケの散歩道。でも大した見どころがないので(興味のない人には)、訪れる人は少なかったのですが、この4月始めに整備が終わり、広報にも紹介され、また宣伝もされたので、早速グループで次々訪れているようです。
「公園」という言葉、概念について、ちょっと考えさせられました。公開されている「庭園」は、公園とはいいいませんね。もちろん公園の中に庭園が属している場合もありますが。自然をなるべく生かした形で
整備(手助け)しながら、人間もその一部として、ちょっとその中を散策させてもらう、という形の丘は、なんと名づければいいのかなあ、公園ではないのではないのだろうかと、思ったのでした。
でもここは観光地の端っこですから、こうなっていっても仕方ない事でしょうか。またお役所としても、こういうきちんとした形でなければ、予算が使えないのでしょうね。

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野の花たち

気象はまた冬に逆戻りしたような寒さ、世の中も目や耳を塞ぎたくなるような出来事ばかりで、ブログを入れる気持にはなりませんが、でも先日の日曜日は午前中だけぽっかりと穴が開いたように春の気持の良い晴天で、台峯歩きがありましたのでそれを簡単に入れておくことにします。
集った人は15人ばかりでしたが、ひとまとまりになって歩くにはちょうど良い人数でした。
案内者の話では、やはりみな10日ばかり早いそうで、桜はもう終わりごろ、八重桜がぽったりと咲いています。歩き出して間もなくの土手には春の草花が顔をそろえ、そこで観察するだけでも話題は尽きないくらいでした。のどかに咲く野の草も生存競争はきびしく、最近はここでも異変が生じているとのことで、それを先ず少しばかり記します。
先ず最近道端に爆発的に増えてるのが「ヒメオドリコ草」、これが日本古来の「ホトケノザ」を圧迫しているそうです。エーデルワイスの親戚である「ハハコグサ」も、「ウスベニチチコグサ」に押されて減っているとか。ここではハハよりチチの方が強いのでしょうか。西洋タンポポと関東(日本)タンポポについてはよく言われますが、ここにはどちらも存在していました。それと良く似ているオニタビラコは鬼と付いているくらいですからとこか猛々しい感じです。勢力争いがあるのは主としてよく似たもの同士で、ライバル関係にあるもので、誰にもなじみの「オオイヌフグリ」は、「タチイヌノフグリ」とライパル関係にあり、今押されているようです。
スミレも良くある「タチツボスミレ」だけでなくたくさんの種類があるようで、ここでは「ノジスミレ」も観察でき、またあちこちに生えている「カラスノエンドウ」も、それと良く似た、しかし花が小さい「スズメノエンドウ」というのがあることも教えられました。
葉をちぎるとキュウリの匂いがする「キュウリ草」の花は、一ミリほどの小ささですが、良く見るとその美しさや清楚さは素晴らしく、小さくても蘭に似たような花もあって、それぞれ丹念に見れば見るほど雑草の世界も深いことを知らされます。こういう土手や野っ原が昔はどこにでもありました。しかし今では整備され整頓され、だんだん少なくなっていきます。
やっとそこから離れて、第一の田んぼにたどり着きました。蛙が盛んに鳴いているのに感動です。こういう田んぼが県内でも少なくなったそうです。田んぼだけがあってもこんなに蛙はいないとのこと。田んぼを緑地に中に残す事が大切なのだそうです。なぜかということは前に書きました。田んぼの中にもキュウリグサに似たハナイバナ、キツネノボタンににたタガラシなどの草花、ここは今年も稲田になりそうですが、とにかく田んぼ作りがいかに大変かということです。米作地の大規模耕作ではなく、いわば手作りの田んぼなのですから。しかし、第二の田んぼに来た時、みな声を呑んでしまいました。ここはもう耕作放棄だけでなく辺りはすっかり様相が変わっていました。崖にはコンクリートがべたりと塗られ、辺りの木々は切り払われ、奥の建物は取り壊しの最中、コンクリートに緑のペンキを塗るつもりかな・・・など冗談まじりの苦笑です。
老人の畑と呼ばれている見晴らしの良いところでちょっと休憩、いつものようにキャンディが配られます。ここに入る少し手前の実際にお年寄りが耕作している畑には今ブロッコリーやサヤエンドウの花が咲いて、モンシロチョウが飛びまわっていました。種を取るために残した葱坊主が堂々と突っ立ていました。でもその方の歳は94歳とのこと。いつまでこの畑は残っているでしょうか。
いよいよ谷に入ります。前座に時間をかけたので、少し急ぎ足です。でも道筋の大きな樹の洞に住む日本蜜蜂の健在を確かめました。花の時期なので盛んに蜂たちの出入りが見られます。この蜂はとても小さく人に害は与えません。行く手を遮らなければ近くによっても大丈夫だといわれて、間近に寄って眺めます。巣からは蜂たちのうなり声(羽ばたき?)が聞こえてきます。ヤブニンジン、ツリカノコソウなどに挨拶しながらせせらぎを左手に、ハンゲショウがこれから見られる湿地を過ぎます。ウラシマ草の花が咲いていました。これは私の庭にもあるのですが花が咲きません。気持ちのいい花ではありませんが、浦島太郎の釣り糸のようなものを出すので珍しいのです。
辺りをちいさな昆虫が飛んでいました。ホバリングして、どこに飛ぶか分らないようにボーとしていて、ふっとどこかに飛んでいく、ちょうど僕たちみたいだ・・・と案内者がいうそれはビロウドツリアブだということでした。簡単にといいながら長くなってしまいましたのでこの辺で止めますが、最後に一つ。
出口のところのヨシの原の上に枯れ草が毛布でもかぶせたように覆っているのが見られました。それはカナムグラといって、成長が早く蔓延り、そんな風に他の植物の上に覆いかぶさって絶やしてしまう。今その新芽が出てきているといって、どんな草もめったに採ろうとしない人ですが、それだけは植物の天敵だといって抜き取っていました。

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木下順二追悼公演『沖縄』を観る

ブログにもすっかりご無沙汰していました。
先日、民藝の『沖縄』を観ました。
東京裁判を扱った『審判ー神と人とのあいだ』と同様、亡くなった木下順二さんの作品ですが、これもまた日本人、というより本土人である私たちにとっては重たい問題を突きつけられるものとなっています。
日本の今の平和と経済発展は、この沖縄の犠牲というか、人身御供のような存在によって成り立っているということを、つくづく考えさせられる劇となっており、自ずと口が重くなってしまうのです。
この作品は、沖縄について調べられるだけ調べ上げた末、自分の観念で書いたということですが、観念劇という領域を超えた象徴性を持った、ギリシャの古典劇を思わせるものを持っていると私には思われました。
この劇作法は、有名な『夕鶴』や、平家の滅亡を描いた『子午線の祀り』などにも通じるもので、そこには幻想と現実が交差し織りなしていく、リアリズムを超えた舞台が展開していきます。
舞台は60年代の沖縄のある小島、本土復帰がなされていない時代です。主人公は、過酷な戦争体験を持つ、その島に本土から帰島したばかりの元教員の波平秀(日色ともゑ)、その沖縄のユタの系譜を思わせるその女性を軸にして、政治問題や米軍につくか本土の資本につくかの男たちの勢力争いなどが展開し、ただ一人の本土人、ヤマトンチューとして登場するのが元日本軍の兵士(杉本孝次)である。この日本兵に本土人の贖罪意識やまた狡猾さ卑小さを象徴させているところがあるけれども、結末はここには書かないが劇的な場面で幕が下りる。これも古典劇の作法を思わせる。
こういう能舞台を思わせるお芝居は、昼食後の午睡の時間にあたるとついうとうとしてしまうのだが、沖縄の深い森の場面となり、そこで繰り広げられる祀り、仮面をかぶった「男神」と「女神」と太鼓をたたいて歌い踊る群衆が出てくると俄然目が覚めた。夜中の12時に行われるノロの儀式など、そしてその儀式で次のツカサに選ばれようとする(と工作される)秀、それゆえに悲劇が起こるのだが、それがちょうどカタルシスのように、神話的な世界へと導かれる感じがする。洞窟の中から(このようなところから女たちは身を投げたのであろう)空を望むという舞台装置もあって。この結末は沖縄の、ひいては日本の未来のどんな展望を暗示しているのだろうか。
ここではただ沖縄を犠牲者だという立場だけを強調しているのではない。むしろ沖縄自身の問題として、「昇る太陽は拝む。が、沈む太陽は拝まぬ」や「ものくれる人、わがご主人」といった意識などをも、課題として突きつけているのである。
最近では教科書の沖縄戦での記述が書き直させられる動きがあった。また、昨日は憲法改正の国民投票法案が国会で成立した。民芸は少々真面目で面白みや娯楽性に欠けるところがあるけれども、「ドラマトゥルギーとは思想である」という木下さんの言葉を、一つのバックボーンとして持っている民芸は今の世の中、必要な存在ではないかと思った。

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『Happy Feet』 を観る

オデヲン座最後の映画として、この『ハッピー フィート』を観ました。
これはアニメ映画ですが、ブログ星笛館でも取り上げらていましたし、新聞でも「おそらくアニメ映画の一つの到達点を示す作品だろう」とありました。
そうでなくても動物大好きの私は、本物の皇帝ペンギンの記録映画を観ていましたし、南極の自然とそこに生きる皇帝ペンギンの、まさに皇帝と名づけられるべき生態の素晴らしさに感動していたので、それをアニメがどのように迫るのかという関心があったのです。
これが見られてよかったと思いました。アニメとは思えないほどペンギンは良く出来ていました。元々ペンギン自体、ちょっとアニメ的ですからね。それがヒーロー、ヒロイン、脇役、また主人公を助けるアデリーペンギンの5人(羽)組などの個性的なペンギンの他、2万5000羽もスクリーンに出てきて、歌い踊るのですから楽しくて圧倒されます。
この題名は、幸福な足(両足)を意味して、足から生まれたようにひとりでにタップダンスをしてしまう主人公のペンギンの物語りです。しかしそれゆえというより、彼は歌が全く歌えないことから群れからは異端児としていじめられ排斥されるのです。しかしまたそれゆえに群れを救おうと冒険を重ねる救世主的存在にもなり、また彼らにとってはエイリアンである人間とのコミュニケイトを果たすということにもなります。
このように子どもが楽しめるアニメでありながら大人向けの寓意性と深いメッセージを含んだ映画ですが、それは別にしてどうしてこのようにペンギンの自然の動きが表現できるのだろうと驚かされ、その踊りもタップもとてもリアルで笑ってしまうくらいでした。
メッセージの中心にあるのは「愛」である。それでサントラも、愛を歌った有名なロックやポップスを集めたもので構成されている。エルビスの「ハートブレイク・ホテル」や「マイ・ウエイ」などもあって、ペンギンがそれに合わせて踊りうたう姿はなんとなくエルビスを思わせるなまめかしささえあった。
しかし後半になると暗いトーンになる。ここには人類によって破壊されようとする地球の未来を映し出していくからである。しかし結末は希望を持って終わる。「ペンギンが地球を救う?」 主人公のペンギン、マンブルが、仲間たちからは哂われたタップ・ダンスという表現で、人間たちにメッセージを伝えたからだった、と言う事になるだろうが、そんな事よりもスリルとスペクタクルと歌と踊りを楽しめばいいだろう。
主人公のマンブルの「みにくいアヒルの子」のような、ペンギンらしからぬどこか悲哀に満ちた顔と姿がいい。
ただメッセージとして感じた事、今ここで言うような「愛」、キリスト教的な愛が、これからの地球を果たして救う唯一の思想なのだろうか、ということである。もちろんこれを否定はしないが、今はもっと別の何かが必要なのではあるまいかと・・・。

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さよなら 『オデヲン座』! そしてありがとう。

藤沢の南口と北口にあった二つの小さな映画館が、この3月末でとうとう閉館となります。それぞれの館が2つずつスクリーンを持ち、それぞれの客層に応じた映画を上映していて、私も馴染みでもあったのに、とても残念です。館の雰囲気もよく座席もよく、いろいろ営業努力も感じられたのに、やはり時代の流れにはかなわなかったのでしょう。同じオデヲン座が大船にもありましたが、ずいぶん昔に閉館、またその前には鎌倉にも小さな映画館があったのに、それがなくなったのはもっと昔の事。全てが中央に、また人が大勢集る繁華な部分に、吸い寄せられて集中させられてしまうのが自由資本主義による市場優先の現象なのでしょうか。
確かにTVなどの驚異的な発達で、映画館に足を運ぶ人は少なくなっていますが、それでもTVで見るのとは違うものがあって、それを味わいに行くのですが、それがわざわざ遠出してではなく、身近に味わえてこそ生活が豊かになると思うのに、世の中はそれと全く反対の方向に進んでいる気がしてなりません。それで私もこの最後の週、最後の映画を見に行きました。最後なので少しは人が詰め掛けるかと思っていましたが、それほどではありませんでした。ラーメン屋が最後だというと行列が出来るくらいに詰めかけるようですが、やはりこの程度だったのですね。ご苦労様でした、ありがとうという感じでパンフレットも買い、サウンドトラックも買って帰ってきました。
何を観たのですって?それは次に書くことにします。

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春は下から訪れます

今日は「台峯歩きの日」でした。
素晴らしい冬晴れでしたが、朝は氷が張りそうな冷え込みとなりました。
今日の目玉は、池でカワセミを目撃した事と、蛙の卵(アカガエルとガマガエル)が湿地の水溜りに大量に生みつけられているのを見たことです。赤蛙のは直径1〜2センチぐらいのビニールの管のようなものがニョロニョロ、蝦蟇のほうは紫陽花のように丸いぬるっとしたコンニャクのような塊。ちょっと気持が悪い。
ここから先は長いので多分誰も読まないと思いますので、独り言に近いものです。
草木の芽吹きも例年より10日ほど早いそうですが、まだ木々はほとんどが眠ったまま、ただイヌシデの梢だけが芽を(キブシに似た小さな房)だして、遠くからだと煙ったように見えていました。
そんな状態ですから、この時期は芽や葉を出し始めた道端の小さな草たちをゆっくり観察しながら歩いていこうというのです。すなわちここに春が先ず来るからです。樹木も低いこの方が先に芽を出し、高い樹のほうが遅い事が多い、そうでなければ高い樹によって日差しが遮られてしまう、低木が生長できない。自然にはそんな配慮の規則性が働いているのだそうです。というわけでそれより低い草たちのほうがいち早く春を知らせるというわけになります。
でも草も背が高くなり花でも咲けばその名が分るのですが、まだ葉がやっと出たばかりだとほとんどが分りません。タンポポぐらいは分るけれど。その見分け方などを教えられながら歩いていきました。
空気が澄んでいるので真っ白い富士や箱根連山がくっきりと眺められる、それにしばらく見とれてから台峯にはいりました。
今日学んだ事は、名前を教えられてもなかなか覚えられず、また覚えたつもりでも直ぐ忘れるという声に、名前を覚えようとするからダメなのだというのです。名前などを覚えなくてもいい、ただ触って良く眺め他との違いを知る事だとのこと。たしかに図鑑を見ても花は別にしても実際の草木はなかなか判別できません。それはただ眼だけ、頭で見て覚えるからでしょう。もちろんそれも一つの区別ですが、実物を手にとって触ったり葉の裏側や棘や葉脈、また手触りや匂いなど、五感でその植物を感じることだ大切なのだというのです。そしてたとえば今小さな朱色の花を咲かせているウグイスカグラの葉を触らせられ、それが柔らかくしっとりした手触りである事を教えられました。
歩くうち、皆似たような雑草に見えていたもの一つ一つが、それぞれ幼い芽吹きである事、その幼い命が識別出来れば何がそこに有効であるか、またそこの環境がどう変化してきたかが分るということ。ですからただ雑草といえどもみだりに抜き取れない事が分りました。(でもほとんど忘れるでしょうが)
これを聞きながら私は昨日の「水橋晋さんを偲ぶ会」のことを思い浮かべていました。その会はとてもいい会で、改めて水橋さんの詩集、詩業の素晴らしさと未来性、その天才的な才能と予見性、詩にたいする厳しさと真剣さ、それを包み込んでいる優しさと包容力、飄々とした人柄などを再認識させられたことを後で水野さんとも話したりしたのですが、その時に奥様が漏らされたエピソードを思い出したのでした。
それほど広くはない庭なのに植木はもちろん雑草までもみだりに抜いてはいけないと言われて、奥さんが苦労したという話。留守中つい雑草を抜くと、せっかく芽を出してきたそれを楽しみにしていたのを抜いてしまったと叱られた事など。しかし道路や近所の手前、またあまりに伸びすぎるため切らざるをえないものは留守中に切っていた。それで奥さんが庭木を切っている時は水橋さんは留守だということが近所の人にはわかるようになってしまったとか・・・・
ああ、自然豊かな富山出身で、とうの昔からエコロジストであった水橋さんは、草木に対して(地球に住む魚や鳥や獣たち全体に)、そんな風に向かい合っていたのだろうと思ったのでした。あまりに素晴らしいお天気の時は会社をずる休みして海にもぐりにも行っていたという水橋さんは、まさに全身でそれらに向かい合っていたのであり、それであのように地球規模の官能的な詩が(水野さんが、それらの詩を読んで酩酊感を覚えたと言われたのはこれではないだろうか?)書けたのではないかと思ったのでした。
思わず横道にそれてしまいましたが、今日はこれまで。

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