洞門山の破壊について

洞門山が無くなるかもしれないので、雨が上がった日に写真を撮ってきました。ほぼ全景を線路をはさんで両側から。近くからは赤いトンネル、たとえここが〈交渉の結果〉残されるとしても、埋められてしまい、入口から望める明るい出口の眺めはなくなるでしょう。穴を失ったトンネルは、穴のない竹輪が竹輪でなくなるようにトンネルではありません。確かこのトンネルは、手掘りと読んだ事があります。トンネルの出口は細い道に通じていて、そこを渡って小路に入った奥の方に好々亭があるので、お客が訪れやすいように主人がコツコツと掘ったと聞いています(?)。青の洞門ですね!これは確かではないけれど、大型機械ではないと思います。
その並びにある赤いお稲荷さんの祠も撮りました。ここにはまだ榊が供えられ、白い小さなお狐さまも何匹か飾られていました。ああ、お狐様、このお山をお守りください! 
この辺りの岩は柔らかく掘りやすいので、ここも岩をくりぬいたものでしょう。血で血を洗う合戦や権力争いの果ての死者が累々と眠るこの地で、崖にやぐらと呼ばれる横穴が墓場や土牢として多く使われてきたのも、そういう岩の質だからでしょう。
好々亭にも入って見ましたが、確かにもう廃業して、荒廃していました。人の手が入らないとたちまちこんな風に荒れてしまうのかと愕然としました。
引きかえし線路側に出てくると、そこに開発の計画図と、説明会の日時が書かれた立て札が出ていました。
そして今日、出かける予定があるので、駅に出たのですが、その立て札は写真にとらなかったのでカメラを持って行き、それにレンズを向けていると、男の人が寄ってきて、「ここが崩されるのですか」という。この辺の人ではないようです。「そうですよ」というと、でも「道がないではないですか」という。たしかにここには車が出入りする道がないのです。線路沿いの道は、自転車がすれ違うのがやっと、車は一方通行です。「トンネルの向こうにも道があるのですが」といって気がつくと、その道も車一台がやっとの細い道で、それは緩い上り坂になり八雲神社から円覚寺に通じるいっそう細い道になって行く。「道がないのにどういう風にして切り崩すのだろう」とその人は首をひねっていました。
すなわちこの洞門山と言うのは、好々亭を含むひっそりした家々と線路との間に立っている緑の屏風のような小山なのです。それをたった3区画(?)の宅地のために、崩してしまおうと言うのですから、理解に苦しみます。
そもそもこの辺の緑と言うのは、もうすべて屏風のように奥行きのない物になってしまっています。私がここに来てからも次々とそうなって行くのを眺めてきました。そして今度はいよいよ、駅近くの玄関口ともいえるここをコンクリートの崖にしようというのです。
駅への道に、やっと『洞門山を無謀な開発から守ろう』と、私も貰ったチラシを板に張った立て札が2本立ちました。昨日ゴミ当番表を回しにきた同じ町内のファンタジー作家のTさんにもこのことを言うと「知らなかった」といい憤慨していました。
「開発」と言う語には、プラスのイメージがあります。開発をする側にはその意識があるでしょうが、私はそうは思わないので「破壊」と言う語を使うことにします。
とにかく明日の夕方から公会堂で説明会(この語にも私は疑問を感じますが)がありますので、それを聞いてくるつもりです。ではまた。

カテゴリー: 北窓だより | 2件のコメント

秋の野草&松虫たち

お彼岸のせいもあって参加者が12〜3名だったので、かえってゆっくりと道端の野草の花を眺めながら歩きました。雑草として見過ごされてしまいそうな草も、精巧で見事な花をそれぞれに咲かせていることに感嘆しました。案内してくださる久保さんは、野鳥の会の会員だそうですが、台峯の生き物の種類だけでなくその生態や日々の暮らしまでを、つぶさに知っているような人なので、そんな観察が可能なのでしょう。(でも教えられても直ぐ忘れてしまう生徒のひとりの、私です)
先ず第一の田んぼでは、まだ葉は青いけれど稲穂が首を垂れていました。でもこのあいだの台風の影響による強風で、倒れ臥したところがあり、少し心配だと言うことです。かなりひどいので、これを人手を使って起き上がらせないと、籾から芽を出したりして自力では起き上がれないかもーと。
白萩があふれるように咲いている家の前を通って第二の田んぼへ。
ここは谷あいにあるためか、風の影響がなかったようで、倒れたものはありませんでした。しかしその隣接したところには宅地売り出しの幟が何本も立っていて、この田んぼもいつまでか、と言う思いです。
この周りで、たくさんの野草とその花を観察しました。
コセンダングサ、オオイヌタデ、オオケタデ(アカマンマといわれるイヌタデの他、タデ科は色々あって、とにかくそれぞれが違っていて、というふうに野草の奥もまた深いことを知らされます)。
蔓になって絡み付いていて、白いビニール紐が丸まったようなのは花ではなく(花は十字の白い花弁を持ってこれも美しい)花が終わった萼(ガク)で、それはしだいに白い髭のようなものに変化して(それらしきものが出掛かっているのを教えられる)それで、センニンソウ(仙人草)と言うのだそうです。なんと昔の人は、よく観察して、こういう名づけをしたものか・・・
こんな風に、一つのところに留まって、周りを丹念に眺めるだけでも、久保さんのような人と一緒だとそこで何時間でも費やす事が出来るというようなことを、感じます。そんな風ですから、今日の歩きは少数でのんびりと歩きました。なんでもない一本の草、触ってごらんといって触ると、なるほど猫の毛を撫でるような感触がある。だからこの小さな萩に似た葉を持つ草は、ネコハギ(猫萩)というのだそうです。
そんな風に時間をとりながら歩いたので、谷戸に入ったのは少し遅く、途中からは雨になり、だんだん強くなって、帰途はざんざん降りで、後に土砂降り、折りたたみは念のため(予報では夕方から雨)持っていたのですが、傘も役に立たないほどずぶ濡れになってしまいました。
しかし今回はもう一つ、松虫を眺められたことが記憶に残ります。「松虫を聞く会」があったことを私は知りませんでした(残念)。でも、今日は老人の畑といわれている見晴らしの良いところに、たくさん昆虫が見られ(ここも彼らが棲めるように、草刈をしたときにキンミズヒキの草むらなどをあちこちに残したりしたそうです)、バッタ、オンブバッタ、エンマコウロギ、そして松虫の雄と雌をじっと見ることが出来ました。でも残念ながら虫たちは夜にならないと鳴いてくれません。
松虫は、ここしかいないそうで、ここは貴重な場所と言う事。またセイタカアワダチソウは、はびこりすぎるので抜きますが、カンタン(邯鄲)は、ここに棲むらしく、それを残しておく必要もあるとか。自然の調和と言うものは早計な人間の判断を超えたものがあります。
ヒメジソと同じところに咲いていたキツネノマゴの違いは? 教えられて、成る程。キツネのムスコはあるのかなあなど、冗談。とにかく野草・雑草と言うものも、虫になって潜り込むと、まさにジャングルなんですね!

カテゴリー: 台峯を歩く | コメントする

一難去ってまた一難

乾燥続きの夏が過ぎると、今度はもう長雨の気配です。
台峯歩きの今日は運良く曇りで、雨は夕方からだとの予報でしたので喜んで出かけたのですが、途中で激しい雨に遭ってしまいました。
そのことよりもまた別の悲しいニュースで、空よりも心が暗くなりました。
緑の丘が切り崩される事になっていたのが免れそうだと先日書きましたが、それはまだ建設委員会での決議で、本会議ではまだ決定されないことなど色々、今日出席してわかりましたが、また別の新たな問題が発生したことを、チラシで知りました。
大船から線路を曲がり、電車が横須賀線の北鎌倉駅にすべりこむすれすれの時、左手に(進行方向)見えてくる鬱蒼とした緑地、「好々亭の赤トンネル」と親しまれている「洞門山」」という〈この呼び方は知りませんでした)が、開発により中腹から上部8メートルあまり平に削り取られ、変化にとんだ軟質の崖も(いかにもこのあたりの地質が感じられて風情に富む)コンクリートの擁壁となり、赤トンネルもコンクリートで塞がれてしまうのだそうです。緑は跡形もなくなり、無機質でノッペラボーな台地が現れ、そこに3宅地が予定されると言いますが、2期工事を含めると10宅地となるそうで、土砂の搬出は小型ダンプ(このあたりは道が狭く大型は入れない。自転車ですれ違うのがやっと。車は一台がやっとのところ)1万5千台にもなるといいます。
この辺りは昔の風情がまだ残っていて、疲れて帰ってきても駅を降りてここを歩いていると、自然に生気が甦ってくる思いがします。柔らかな手触りで自然な曲線を描いた崖の岩肌とそれに被さるような緑の繁り、雨が降ってもここが雨宿りになる感じで、藤の花もきれいでした。またここにはお稲荷さんの鳥居と祠もあって、誰でしょうかちゃんとお供えもなされているのでした。これを崩しても罰が当らないのでしょうか。
ここはこれまでこの地を知る作家や映画人によっても愛されてきた風景です。
大仏次郎の御谷(おやつ)騒動(まだ保全の意識がなかった頃、緑地保全をお寺や文人たちをはじめ多くの人たちに呼びかけをした最初の運動として有名)の折、「鎌倉の玄関口」と表現した緑地、また小津安二郎の映画作品には、この辺りの風景が良く出てきます。
この近くに住んでいた高見順の随筆や日記にはよく登場してくるし、このトンネルを掘っている(確か赤トンネルは好々亭の主人が掘ったものと、私は読んだ記憶がある)場面もあった気がします。実はその高見順が自分が亡くなった後、残されたものが困らないようにと建てたアパートも、この地にあった風情のある木造建築で(私も住んでみたいと思ったくらい)、円荘(つぶらそう)と扁額が掲げられていて、自宅と同様見る価値のあるものでしたが、これは多分遺産相続の際やむを得ずでしょうが、売却され壊され、普通の住宅に分割されてしまいました。
赤トンネルを抜けると静かな八雲神社につづく細道に出て、それを渡った奥、裏山を背負ったところにあるのが好々亭という会席料理屋。3方を山に囲まれた広い庭を持った数寄屋造りの由緒ある店で、それだけ値も張るので私などはめったに利用しないけれど、庭を見るのは「どうぞ」と言う親切さで、梅の季節は見事で、別棟に円形の風変わりな凝った建物があってそこにはご主人の収集品らしい骨董や焼き物などもこれも無料で見せてもらうことが出来、わが家を訪ねてきた人には大抵そこに案内したりしながらも、経営も大変ではと心配してましたが、やはり懸念は事実になり、ごj主人も色々経営に努力されていたようですがとうとう廃業するらしく、それがひとつのきっかけかもと、思ったりもしました。
でもその廃業(そこを手放す)と、前面の緑地を切り崩すとは別だと言う事ですが。やはりどこか連動しているに違いありません。
その問題の緑地の地権者の名前を見て、あっと思ったのでした。そのK氏とは、この辺りの大地主の一人ですが、もう30年近く前、この地に始めてきた時、この居住区の上の山を大々的に開発して宅地化をする区画整理事業団と言うのがあり、それへの反対運動が行われていたのを知らなかったのですが、それに来たばかりの私達も巻き込まれ、近隣の人たちとともに2年ほどに渡って、集会から抗議活動、様々な行動をやった挙句、多少の譲歩(?)をさせたかもしれませんが、開発はなされました。それを思い出させられたのでした。その張本人の名がK氏だったからです。(もしかしてその息子かもしれません)
ですから、もうその運動の先は私には見えてしまうのです。
何度もいうようですが、それを反対する理由としては、狭い道路での工事は騒音や粉塵、また周りの住民の安全や行き来に迷惑だと言うことからしか、周りの住民は抗議できないわけです。
30年前の抗議活動も、開発事業団は、人の土地になぜ「いちゃもん」をつけるのか、それはけしからんという態度と意識でしかないわけですから、それが今もってつづいているのだと思わざるを得ません。
今日のラジオ放送を聴いていると、大林宣彦(映画作家)さんが、こういうことを言ってました。
映画を撮るとき、日本で少し前の風景が撮るのがとても難しいと。ヨーロッパでは、いやアメリカでも、携帯の宣伝などの看板を消すだけで撮れるのに、日本では少し前の風景が直ぐなくなり、すっかり変ってしまうと、むしろ江戸時代というように時代劇の方が撮りやすいと。
日本では直ぐ壊して新しくする、それが進歩という考えがまだ変らない。文化とは、遺す事ではないかと。
すこしこれについて喋り、肝心の台峯歩きのことは書けませんでした。これはまた改めて。

カテゴリー: 台峯を歩く | コメントする

虫の声・ミンミンその後

蝉の声にかわり夜になると虫の声が聞こえるようになり、秋を感じます。猛暑が長々とつづいた或る日、急に肌寒いくらいになり、しかしまた残暑がぶり返すなど、害毒を流し続ける人間を翻弄するような気象が続きますが、やはり地球はゆっくりと回っていて、季節は巡ってくるようです。
先にミンミンが鳴かず、少ないなどと書きましたが、その後同様の知らせを聞いたり、しかし所によってはそんな事はないとも、また例年より多いようだと言う人もあり、地域・場所によるようです。
そのミンミンが、急に涼しくなって雨模様になった頃から、ここではむしろ盛夏の時のようによく鳴きだしたのです。そして真夏日になった一昨日、駅に至る道を歩いていたらまだ盛んに鳴いていたのです。ツクツクボウシよりも盛んに・・・。ヒグラシは鳴かなくなりました。
これらから考えるに、この辺は夏に入ってからほとんど雨がなかったので、(都内や横浜に集中豪雨・大雨が降ったときでも、遠くにゴロゴロいう音が聞こえるだけでなかなか雨が降らなかったのでした。)蝉が地面から出てこれなかった〈地面が固くなって)のではないか、と情報を寄せてくれた人の意見に今は頷いているところです。
それで晩夏になって、やっと姿を現したのでは?   と素人解釈して少し安心していますが。
今日は台風の影響で曇り空ですが蒸し暑い日になりました。
以上ご報告まで。

カテゴリー: 北窓だより | コメントする

台峯に朗報

今朝の新聞を見て、あっと声を上げました。
先日、このブログで「台峯に危機」と書いた事柄、この緑地に接近した重要な緑地が広範囲にわたり崩されてテニスコートになるという出来事が、市の「手続きミス見逃し」ということで、見直されることになったと報じられていたからです。
その経過、詳しい内容については分らないものの〈今度台峯歩きに参加した時に、聞かせてもらえるでしょう)、いったん許可が出ていた届けが、ミスということで取り消された事は喜ばしいのでご報告します。
市のミスと言うよりも、法の目を潜ろうとする、それこそ鵜の目・鷹の目の業者によって、巧みに仕組まれたものであろうということが、素人の私にも見えてきますが・・・
ここが普通の緑地であればそうは行かなかったでしょうが、この土地(4450平方メートル)は「保全配慮地区」に定められているので(売買の6ヶ月前に市長に届けが必要、それがなかったらしい)、助かるかも知れないわけで、やはり法で動いている現代国家、法の大切さを感じさせられます。
市がミスと認めなかったら、このまま開発されていたその土地が救われそうなのも、それを指摘する住民たちの目があったからで、やはり民は目を光らせ声を上げねばならないのだと思いました。
6月に工事許可が出されていたのにも関わらず、業者も着工を18日(9月?)まで待っており、地元町内会などが「業者のねらいは宅地開発ではないか。緑を破壊して豪雨による災害も心配」と反対していたと言う状況の中、10日の建設委で、町内会から出されていた緑地保全の二つの陳情が全会一致で可決された。というのが、新聞記事による今の状況で、とりあえずはめでたい事です。

カテゴリー: 台峯を歩く | 2件のコメント

台峯の夏の花々

台峯に向かって歩き出した時、蝉のことを訊ねて見ました。やはり今年は蝉が少ないようだと皆言っている、というのがK さんの答えでした。そして解散時に口から出たのは、ツクツクボウシの声が全然聞こえませんでしたね、おかしな事です、という言葉でした。でも私の家の周りではよく鳴いているし、ミンミンが鳴くよりも前に鳴きだしたのでおかしいと思ったのでしたが・・・。所によっていろいろのようですが、何か異常な感じがあちこちにあるようです。でも自然というものは元来そんなもので、いつも同じではないのかも知れず、少し神経質になっているのかもしれませんが。今この辺りでは、ミンミンが良く鳴いています。
さて台峯で今回よく観察したのはいろいろな花たちです。
でもこれは目に付く大きな花ではなく、ほとんどが雑草と呼ばれる花たちなのでした。この時期、春のようにたくさん花が咲くことはないので、その小さな花たちが昆虫にはとても大切になるそうです。
そしてその小さな花をよく眺めると、大きな花に負けないくらいにいかに精巧で、繊細、美しいかということを、Kさんは強調します。ルーペを当てて眺めると、なるほどと感心させられます。先ず第一の田んぼの稲の花はもう終わっているのですが〈それが実って籾になっている)、その痕跡のようなものも、指摘されなければ見たりしないでしょう。
ヤブミョウガの白米を砕いたような白い花、キツネノマゴという小さなとんがり帽子のような花穂は、小さな花が順番に咲いていつまでも昆虫を引き止めるという。わが庭にもあるヤブランの紫の花。よく見かけるジュズダマ、イノコズチ、タマアジサイ。
第二の田んぼの宅地化された周辺には、早速、ベニバナボロギクという、帰化植物がたくさん背丈を伸ばし花を咲かせていました。ボロギクと言われるだけあって、花が終わるとタンポポの綿毛よりもっとモシャモシャとしたものをつけて、それが飛んで行って増えるのです。これは荒地に先ず増えるもので、増えてほしくない植物です。アレチマツヨイグサも同様。
つる植物では、どこにもよく見られるへクソカズラ(こんな名前でかわいそうですが、別名はヤイトバナ)、この花の蔓を備前焼きの花器に挿したら風情がありますね、という人あり。オニドコロは、花穂が立って咲くのが雄花、逆が雌花と教えられます。この山芋に似た葉をもったこの蔓草の、巻きつくコイル状の髭蔓の何という繊細なこと!黄色い花で、終わったあとも鞠状になって目に付くダイコンソウ。実が水玉に似ていて花もきれいなミズタマソウは、Kさんが大好きな花だと言う。こういう風情の女性が好きなのかな。
カラスウリの花がたくさん見られました。花と言ってももうしぼんだものですが、ご存知のようにこの花は真夜中に咲き、それは白いレースのようでとても美しいそうですが、残念ながら私は図鑑以外に実物を見たことがありません。
そのほか赤いミズヒキソウはよく見られますが、黄色いキンミズヒキソウ,またスズメウリ。ミゾソバの花はまだ。
これら雑草と言われるものや蔓は、狭い庭に生えてくるとどうしても引き抜いて取らざるを得ません。そういうものたちが生息できるこういう自然が残っている事が豊かさをもたらすのだと思います。
壊されようとしている例の緑地の崖には、ここらが北限と言われるコモチシダ(シダの葉の上に小さなシダが生える)など、シダだけでも8種類が生息しているとか、今ではそういうことを根拠にして、どれだけ緑地を残せるかにかかっているようです。

カテゴリー: 台峯を歩く | コメントする

台峯に危機迫る

先の日曜日は、30日以上も続いた真夏日のなかでは奇跡的とも言える涼しい日でした。
これまでの台峯歩きで、8月はまだ一度も参加した事がありませんでした。盛夏の中ではどういう様子だろうとは思いながら、暑さにしり込みしてまだ出かけたことがなかったのでした。
ところが朝起きてみて、驚いたことに予報では晴れだとあったのに、一面の曇り空、そして空気はひんやりとしているのです。千載一遇とばかりに急に思い立って出かけたのでした。
参加者はやはり少ないほうで、全部で15、6人。初めての人が目立ちました。
真夏は真夏で植物はチャンと生活しているのですから、それなりに見るべきことはあり、楽しかったのですが、それよりも危惧すべきことが露わになってきました。それを取りあえず書くことにします。
曇り空で気温も低く、歩くのはちょうどよく、まわりには霧のようなものが立ち込め、それが間もなく霧雨のようにもなったりしました。何年か前、東北地方を襲った冷害、「やませ」のような現象だ、という人がいました。こんな天気が夏中続き、太陽は隠れて陽が射さず、稲が実らないというのがちょうどこんな現象だというのです。前日の最高気温は34、5度、この日は26度というのですから、涼しいはずです。
危機は第二の田んぼに来たときに生じていました。第一の田んぼはすくすくと伸びた稲が穂をつけていて、爽やかな青田が広がっていました。今年は暑かったことから実りは良いようでした。
第二の田んぼは山近い事もあって生育が遅れてまだ穂が出ていません。それでも青い稲の波が広がっていました。しかしこれに続くところは暫く前から開発の手が伸びて、無残にもコンクリートの高い崖と宅地化がいっそう進み、間もなく家も立ちそうな気配でした。ところがその坂を上がったところも今や開発されようとしていたのにこの間は驚いたのですが、地形状、生態系上、手をつけるべきでない緑地までとうとう切り崩されそうになっているということを知ったのです。
これは先に書いたことでもありますが、この緑地は鳥たちをはじめいろいろな生き物たちの通り道、グリーンベルトになっていて、ここを切り崩す事はその往来を切断、分断する事、またこの地は地質上いろいろな岩石が交じり合っているところで貴重でもあり、またその結果植物も多様で、様々な貴重なものが残っていることなど、学校の教科書にも貴重な切り通しの一つとして掲載されているところ、ということが研究者、識者によって指摘されているということです。もちろんこれへの反対の声は各団体からも上がっているのですが、どうにもならないようです。
途中の周辺住民の隣組の掲示板に、そのことについての警告があり、反対を表明するピラも張られていましたが、もう手遅れです。
立て看板には、20年6月6日に市の許可が下り、工事の着手は8月18日から、21年3月31日とペンキの色も鮮やかに書かれてあったのです。それでも、この緑地の重要性を楯にどこまで譲歩させるかしかない、と経過を知っている人は憤慨しながらも冷静にそういっています。
この地は、市が残すと決定した台峯の範囲ではなく、周囲に過ぎません。ですから法に触れなければ、市は許可するしかないのです。大きな開発は禁止されていても、少しずつ開発していけば許可しないわけには行きません。それをここはやっているようで、またその丘を削って谷を埋めるというその緑地も、そこにテニスコートを作るということで、許可されたのだそうです。こんなところにテニスをやりに来る人がいるでしょうか、それは更地にする口実で、暫く寝かせていて宅地にするでしょう。
ここは台峯に至る道の中でも自動車道であるにもかかわらず両側の緑が深く、風情もあって気持ちのいい場所です。源氏山に至る分岐点でもあります。その片側を切り払ってテニスコートですって!!
周辺の住民は、そんな事は嫌だと反対するでしょう。しかし他人の所有地をあれこれ言う正当な理由はありません、業者も儲けることが本業ですし、従業員たちは生活がかかっています。
ああ、いつものパターンだなと思います。企業は商業ベース、金儲けの論理でことを運びます。住民たちは自然・生活環境から反対します。それは大抵平行線を辿ります。その両方を踏まえ、もっと大きな視野の上に立った見解や政策が必要なのでしょう。それが本当の意味で行政であり政治であり、理念でしょう。それが欠けているのだと、憤慨している人もいうのですが。
私もちょっと憤慨して喋りすぎましたので、この辺にします。

カテゴリー: 台峯を歩く | コメントする

小澤征爾音楽塾 特別演奏会 喜歌劇「こうもり」

これに行くのは去年に続いて2回目である。
去年は歌劇「カルメン」であった。
小澤征爾提唱のプロジェクトで、オーディションに合格した若い演奏家たちを集め、各パートの一流音楽家たちを招いての一ヶ月間の集中練習によって仕上げ、公演にこぎつけるというもの。もちろん指揮は小澤の直接指導である。若い息吹と才能が感じられる、楽しく気持の良いものだったので今年も出かける事にした。
確かTVで、中国の若手の天才ピアニストと共演するための集中指導を密着撮影した番組があって、天才同士のツーカーぶりの練習光景に驚嘆した記憶があるが、そんな風に作り上げたものであろう。
指揮は、昨年と同じ鬼原良尚 20歳の若さである(帰って自分のブログを見ると確かに去年は19歳であった)。
喜歌劇「こうもり」は、「オペレッタの王様」といわれているヨハン・シュトラウス�世作曲の、たった42日間で仕上げたといわれている作品ながら、完成度が高くウインナ・オペレッタの中でも最高峰といわれている。とにかく優雅で軽快なウインナ・ワルツの旋律が全編を彩り(耳になじみの旋律も多かった)、まさに夏の夜の夢、の楽しさに満ちたものだった。(しかし舞台の時間はは大晦日であるが)
オペレッタと言っても豪華な舞台ではなく、オーケストラ&合唱団による、しかしオケの背後は舞台になっていて、そこでチャンと衣装を着けた歌い手が演じるわけで、侯爵家の舞踏会が多くを占めるので結構華やかで、楽しく美しいのだった。チケット料も手ごろで、近いということもあって私にはこれで十分である。
若く、きらきらした才能の数々、また幕間に姿を見せて話をした小澤さんの、変わらぬエネルギッシュで情熱的な姿にも感嘆し、少し元気をもらった感じがしたけれど、帰ってくるとぐったりしてしまった。
今日もいろいろ感想など書きたかったけれど、もう疲れました。
さて、ミンミンですが、確かに鳴き始めましたが、この庭では朝暫く鳴いたと思っていたらそのうち鳴かなくなってしまうのです。この周囲の地面に何かがあったのかなあ。カナカナばかりが多い。

カテゴリー: 北窓だより | 2件のコメント

ミンミンやっと鳴き出しましたが・・

今朝、みんみん蝉が鳴き出したようです。でも何か心もとない感じもします。実は少し前にも一度声を聞いたようで、直ぐ鳴かなくなってしまったのです。
とにかくご報告まで。

カテゴリー: 北窓だより | 2件のコメント

真夏の祈り「ヴェルディ・レクイエム」の演奏会

連日、真夏日・熱帯夜が続いて、少々夏バテ気味です。
一雨あればと思っても降らない。しかし内陸では突風や大雨や、日本海側では洪水になって、死者まで出ているようで異常な夏。そういえばもう鳴いてもいいミンミンの声がしないのです。カナカナはかなり前から鳴いていて、その上なぜかツクツクの方が鳴きだしているのです。と思っていたら、今日、友人からの電話の中で、蝉が鳴きませんねと。皆さん所ではどうでしょうか。
サントリー・大ホールでのヴェルディ・レクイエム特別演奏会に行って来ました。アフター5でアマチュア合唱に力を入れている友人が、合唱団として出演するからです。努力の甲斐あって、だんだん難しい曲をこなすようになり、そして大きなホールにも出演するようになり、しかもプロのソロの歌手、管弦楽団と組んでなので、いつも楽しませてもらっています。
最初は景気付けという感じの『威風堂々』、次に本命のレクイエムでしたが、ヴェルディのは「三大レクイエム」といわれる、有名なモーツアルトとフォーレに次ぐ一つであることを私は初めて知りました。
何しろ大作で、演奏時間は90分、休憩をはさみ2部構成となります。
昨年の「東京カテドラル聖マリア大聖堂」でのヘンデル:メサイアのときも、会場としてなかなかいい雰囲気でしたが、今回もやはりヴェルディにふさわしい会場です。合唱団も、5つの合唱団がプロジェクトを組んでヴェルディ・レクイエム合唱団として編成されたもので、250人余り大合唱団。オルガンを背景に半円に段差がついた管弦楽の舞台との間の(確かこれは客席にもなる思える)空間にずらりと並んでおり、レクイエムですので皆黒衣、女性は薄くて白く長いマフラーを巻いた、それら姿は赤いシートにも映えて視覚的にも美しい。
ソロの歌い手は、合唱団と管弦楽団の間に場所を占めています。
      指揮は小松一彦
      ソプラノ:佐々木典子  メゾ・ソプラノ:岩森美里
      テノール:中鉢 聡  バリトン:福島明也
      合唱指導:久保田洋 小屋敷真
      管弦楽:フイルハーモニックアンサンブル管弦楽団
この曲は、最初は亡くなった偉大な同郷の作曲家ロッシーニーの追悼のためにかかれたもので、しかしこれが興行上の理由から中止になってしまい、その後敬愛するイタリアの詩人アレッサンドロ・マンゾーニの不慮の死に遭って、今度こそとこのレクイエムを捧げる事にしたのだそう。二人への哀悼の気持がこもり、しかも60才を超えた晩年の作だけあって音楽的な完成度も高いという。
はじめはチェロによる聴こえるか聴こえないような響きからはじまり、次に又静かな、つぶやくようなコーラス、そしてコーラスだけのフーガ、といった始まり方をするこの曲、そしてソロがそれぞれに場面に応じてアリアのような歌声で歌い上げ、又それとコーラスのさまざまな絡み合いなどから、全体的な印象としても、やはりオペラを感じさせ劇的で、又先の二つより近代的なものに感じられた。解説によればブラームスが「これこそ天才の作品」といい、初演のときも「モーツアルトのレクイエム以来の傑作」と評判と同時に「教会音楽に相応しくない」とも言われたのもなるほどと思う。
私は2階席の左側だったが、まさに演奏の只中でちょうど真後ろからトランペットが鳴り始めたのにはびっくりした。これはバンダというステージの外からも演奏する一つの技法だったのである。客席の上方の左右から、ファンファーレが鳴り渡るのであった。
さまざまな技法を使ってドラマチックでスケールの大きい大作、こちらがそれをしっかり受け止めるほどのものを持っていない悲しさはあるけれど、十分に楽しく、帰ってくるとやはり暑さもあってちょっと疲れた一日でした。
Tさんも大役をおえてほっとしたと同時にぐったりしているのではないかしら。でもまだ若いから、次のステップに向けてもう心は歩きだしているかも・・・・ 
      

カテゴリー: 北窓だより | 2件のコメント