今年はモーツアルト生誕250周年、色々特集が組まれていて、わたしもこれが機会とばかり、かなりモーツアルトにはまっている。これもその記念特別企画ということで、近くに『魔笛』がやってきたので観に行った。
恥かしながらオペラを実際に観るのははじめてである。TVやFMで聞くことがあっても劇場に出かけたことがない。それで、ちょっとワクワクした感じだった。しかも私のような者にも馴染みのある『魔笛』で、2幕全曲である。出かけるときは梅雨空ながら薄日の射すお天気だったが、帰りには雨となった。じめじめした日本とは対照的なヨーロッパ文化の粋を思わせる、豪華な異次元体験を味わった思いで雨の中を帰ってきた。耳の中にはパパゲーノの笛の音、夜の女王のアリア、パ・パ・パの二重唱などがいつまでも鳴っているような気がした。
演じるのは「プラハ室内歌劇場」(プラハ国立歌劇場、プラハ・ナショナル・シアター、チェコ・フイルのトップソリスが集結とある)という。
ライヴというのはやはり映像とは違う。しかも初めてなので何もかも新鮮で、楽しみながらも色々考えてしまったが、それを少しばかり書いておくことにする。なんといっても初心者、滑稽な感想もあるかと思うけれどそれも許していただくことにしよう。
舞台には歌舞伎などとはまた違った重たい深紅の緞帳が下がっている。その前がオーケストラのボックスである。それはちゃんと分っていたのだが、いつもは舞台の上で見るオケが、狭い穴のようなところに入っているのは気の毒な感じもする。その中は、私は3階席であったので覗ける(オペラグラスというより双眼鏡を持って行っていた)が、1階の最前列は前の仕切りの壁が立ちふさがっていて、面白くないなあと思ってしまった。
しかし考えてみれば歌舞伎の場合も同じことで、長唄連が舞台の奥にずらりと並ぶ場合もあるが、多くは舞台の袖の御簾の中にいて演奏している。やはりどちらも音楽と劇とが合体した総合芸術なのだなあと当たり前のことだが思った。音楽だけを聴いているとそのことを余り考えていなかったのである。
序曲が終わるまで、深紅の緞帳に大きくハート型のライトが当たったままで、幕は開かない。どんな舞台が出てくるだろう、どんな劇が展開するのだろうと、その間に期待が高まってくる。そんな気持ちを高めるように、またその内容をも何となく予感させるように、序曲は作られているのだということが実感できる。確かにだんだん心が高まってくるのが感じられる。それが終わると、サッと幕が開くのである。
王子タミーノが、怪物に追われて夜の女王の棲む森の中に逃げ込み女王の3人の侍女たちに救われる場面から始まるが、夜の森にすむ者たちの豪華というかおどろおどろしい衣装は、歌舞伎の誇張されて派手なデザインの衣装とも通じる感じがしたし、どんな場面も観客をあきさせない趣向が凝らされていることも、舞台芸術のあり方の共通性を見る思いがした。大ホールは隅々まで満員で、拍手もなかなか鳴り止まなかった。
オペラそのものや演出についてあれこれ言う能力はまったく持っていないが、とにかく面白く素晴らしく、モーツアルトのオペラの中でも内容面でも構成面でも完成度の高いものではないだろうか、と直感的に思った。
パパゲーノたちカップルを登場させたことが、いかにも天才モーツアルトの軽々と天空を行く才能を感じさせる。それは重々しいイシス、オリシスの神を讃える清らかな正義の世界の中に、人間味あふれる軽やかな風を吹き込み、主題である愛を身近なものにさせてくれるからである。
歌舞伎を比較に出したのでついでに、これも独断と偏見で物をいうと、そこに見られる主題の違いということも考えさせられた。ここでの大きな主題は愛だろうと思うのだが、そこには必ず神の存在がある。これに限らず西欧のオペラには、人間の情欲を含めた愛、究極の愛、神との愛など、愛が問題になることが多いと思うのだが、そしてそれは日本の歌舞伎や人形浄瑠璃なども同様だが、日本の場合は義理と人情と言われるように、主君や親への忠孝といった義理と、人間の自然な心である情愛であり、地上的・横軸的な関係であるのに対し、あちらは天上的・垂直的、なんとなく東西の違いがあるような気がする。
こんなことをくどくどと考えさせられたオペラ初体験。それを祝し帰ってから、ビールで乾杯した。
蛇足一つ。これはまったく初歩的なことで、笑われるかもしれないが、劇が始まると舞台の両袖に字幕が出て、台詞や歌の和訳が電光掲示されたことは私のようなものにはとても助かった。それによって笑い声の生じる場面もいくつか出たのだった。多分歌舞伎の海外公演などもこういうことが行われているのであろう。
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