T温泉行き(3)

*T温泉について。
和紙の灯篭に導かれながら長い廊下を谷底まで下りたところに、民芸調に趣を凝らした脱衣所と岩風呂風にしつらえた湯場がある。最初の頃、ここは男女混浴の変哲もないタイル張りの浴場で、タオルケットを巻いてでなければ入れなかった。だから私たちは元湯を敬遠して、それを沸かした旅館内の内湯のほうにばかり入っていた。その後大きな温泉センターが出来たりしてこの場所は使われなくなっていたが、今では温泉場らしい新しい趣に作り変えられ、一番新しいものに生まれ変わっている。
窓からは太くて長い氷柱の列と、窓までせりあがっている雪が見える。湯気でぼんやりした壁に入浴者の心得が掲げられていて、その最後に宿主でも主人でもなく「湯守」とある。
世の中や政策に翻弄されながらも、それらに精一杯対応しながらここの人たちはこの湯を守ってきたのだなあ、と湯に漬かりながら思った。
透明なラジウム温泉であるここの湯は、ぬる湯で、長く入っていられることに特徴がある。一時間ぐらいはざらで2時間以上も大丈夫。少しからだが冷えてくるようだったら熱い方の湯船で身体を温め又入れば、何時間でも可能なのである。去年は本を持って入ってきた若い女性がいたが、今年は湯に漬かってもいい本を読んでいた娘さんがいたので聞いてみると、宿屋で貸してくれたのだという。鴎外の「阿部一族」であった。
長く入っていると、毛穴から空気の粒が出てくる。日が経つにつれて出方も盛んになり、撫ぜるとブツブツと気持ちが悪いくらいで、その気泡がサイダーのように立ち上ってくる。それが面白く、また温泉の効果が出てきたような気がして嬉しい。
ところがこの作用がほとんど見られなくなってしまった一時期があった。
即ちそれはバブル期で、その時村が、そしてこの宿がそれに巻き込まれたようだった。
国民保養地の指定を受けたとかで、別棟に温泉センターが出来たのは行き始めて3年ほど経った頃だった。クワハウスの名の下に全身浴、泡沫湯、寝湯その他の浴槽を備えた広いものになった。これで女性もタオルケットを巻かないでぬる湯の恩恵を受けることになったのは良かったが、更にその後急にその温泉センターが目を見張るほど立派な二階建ての建物に建て替えられた。広いエントランス、会議場、トレーニングセンターなど。そして浴場にはエレベーターを使うという有様であった。その頃から、ももともとぬるい湯がいっそう冷たくなり、いくら入っても泡が生じてこない。とろっとした感じもなく、誰もが薄まったと口にした。
去年訪れた時、その温泉センターは、宴会場と一階にある湯場だけを残しすべてが閉鎖されていた。そしてこの古くからある元湯が復活したのである。湯に漬かりながら耳にした話(去年)によれば、やはり陣頭指揮した村長の失策であったという。結局自分の会社をつぶしで一家離散の憂き目に遭ったったとか・・・。
気泡ならぬバブルがはじけ、今風に少し姿を変えながらも、やっと元来の姿に落ちついたのである。
正月2日には、餅つきのサービスがある。玄関先に臼をすえ、杵で餅をつく。ほとんど水を使わず短時間のうちにつきあげる餅は美味しく、餡子と黄粉と醤油で振舞われる。お神酒と漬物までついてただである。しかし今年は都合により休みとなった。初めてのことである。いつも杵を取って、腰つきも見事な年配の男衆が入院したらしい。鷹揚なこの振る舞いも、もう復活することはないだろうと、私には思われた。

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