「Little Biredsーイラク 戦火の家族たちー」を観る

鎌倉・九条の会主催の「十二月に語る平和」でこのドキュメンタリー映画(綿井健陽監督)を観る。
第一部は、朗読と歌。
朗読:原田 静
    「野ばら」小川未明作。   「はなのすきなうし」マンロー・リーフ作
歌:新谷のり子・有澤 猛(ギター演奏)
    「花はどこへいった」ピート・シーガー作詞・作曲
    「死んだ男の残したものは」谷川俊太郎作詞 武満徹作曲
*いずれも決してスローガン的なものではなく、やさしくしみじみとしたもので、演出・演技もよく心に平和への思いが伝わってきた。
第二部が、映画である。これは副題にあるように、2003年3月、アメリカによるバクダット空爆に始まるイラク戦争を、その爆撃を受ける側からその現状を報じたドキュメンタリーである。空爆前の市民の姿や市場の賑わい、「最後通告」が始まっての市民の声や動きがとらえられ、そしてあの空爆・・・・。そしてその後が、語られる。
そこで破壊され殺され傷ついたものの多くは無辜の市民たちであり、特に子どもたちである。その現場の姿をカメラは平静に、しかし彼らに寄り添うように記録して行く。民家の破壊の様子や病院の内部、学校。さまざまな破壊現場や傷つき苦しむ人々、肉親を失って悲しく人々が映されるが、特にイ・イ戦争で2人の兄を失い、今度の空爆でまだ幼い子を3人もなくした一家には、家庭の中、心の内まで踏み込んだ形でその悲しみを描き、それを克服して行こうとする様子をとらえている。
イラク人は概して日本人に対して好意的である。インタビューにも日本は好き、日本人も好きと答える。しかしブッシュと組んで(アメリカに原爆を2つも落とされたのに・・)イラクを攻撃したのはなぜか、許せないというのだ。
日本の自衛隊が到着した時の映像もある。隊員が悪いわけではないが、まさに漫画チックであった。
市民たちは日本人が来ること、援助してくれることは歓迎しているが、それは自衛隊や軍隊としてではないことが、よく分るのである。
バクダットが制圧されて、米軍の戦車が入ってくるのだが、サダムが倒されたことは喜んでいても、それ以上に多くの市民、特に子どもたちが殺され被害が拡大して行くことで、フセイン政権下以上の憎しみも募って行く。銃を構え、決して手放さない米軍の無表情な顔と、異口同音に「自分たちはイラクを解放に来た」、そして「彼らは自由を得て皆喜んでいるはずだ」としか答えないロボットのような姿がとても印象的だ。確かに兵として戦うことは誰もがロボットとならねばできないことだ。故郷にいれば溌剌としていたにちがいない青年も、そこでは無表情で銃を突きつけるロボットにならねばならない米兵が、哀れでもある。そのことをカメラも感じるのか、質問に「自分になぜ聞いてくるのか。答えることはできない」といって去っていく、悄然とした後姿を暫く追っているシーンもあった。
終わってからは、しばらく何もいえない気持ちになってしまった。
この映画の詳細は同監督の著書によって知ることができる。多くの写真もあって読みやすい。関心のある方は、お読みになってください。
『リトルバーズ 戦火のバクダッドから』綿井健陽 晶文社 1600円

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