台峯の手入れ、初参加。

今日が台峯歩きの日です。その前日に毎回、理事をはじめボランティアの人々で道筋を中心にした手入れをします。でも性軟弱なわたしはこれまで1度も行ったことがありませんでした。自分の小さな庭でさえほったらかし、山仕事は大変だし、連日出ることは無理だとただ観察会にだけ出かけていました。今日里山を守るにはいかに地道な努力と作業が必要であるかを実感できましたので、こんな風に良い所どりだけしていたことにいつも内心忸怩たるものがありました。
そしてやっと昨日、ちょっとしたきっかけがあったのですが、やっと初めて出かけてみたのでした。こんな自分でも少しぐらいは役に立てるかな?と思いつつ…。でもやはり今日の観察会のほうは休みました。
山の手入れのほうが面白いですよ、と言っている人がいましたが、成程と思いました。
確かに作業なので疲れ方が違いますが(それぞれ出来ることしかやりませんし、短時間なので私でもつとめられました)、新しい風景、展開が見られ、楽しかったです。
観るだけでは分からないことが、体験で分かるといううこと、またこれまで舞台のほうしか知らなかったのに、楽屋がまた演劇ならば舞台づくりが垣間見られるということでしょうか。歩いていては分からないことを学習させられます。
朝10時20数人が集まり、作業の種類によって班に分かれ、いよいよ作業。わたしは荻原の刈り取りのグループに入りました。秋の終わりに一面銀色の海原のようになる荻原もただ自然に任せていたのではその美しさは保たれなかったのです。
ここで大切なことは、ただ刈るだけではないのです。刈り取った荻はそのまま肥料となるのですが、同時に笹竹(肥料にもならない)を退治することでした。放っておくと笹原になってしまうからです。笹は水分を沢山吸い上げます。すなわちこの地を乾燥させてしまうのです。荻は湿地帯にしか生えません。この台峯の谷戸は湿地帯であることが、それ故にカエルやホタルなどをはじめ生物の多様性が見られる生態系を維持できる地としてj貴重であるわけですから、荻原の存在は大切なのです。
鎌や剪定鋏などで荒刈りしたところに入って、私たちは小さな鋏を使って笹をなるべく根元近くまで、切り取るという仕事、その時膝をつくので、そのためのサポーターのようなものがあるのも知りました。(すべて用具は会または有志によって揃えられている)葉っぱがないと荻と笹の見分けがつきません。どちらも中空ですが、荻は中が赤っぽく、笹はそうではないなど、その見分け方もKさんから指南を受けます。こんなことも作業をして初めて知ることです。そして考えてみると、自分の家の庭の雑草とりも笹退治もやっていないのに、ここに来てせっせとやり、しかも結構楽しくやっている…とまったく可笑しくなりますね。でも作業はなかなか進みません。12時近くまでやっても身の回りの部分だけです。グループはここだけではなく、作業はまだ引き継がれて続くわけで、私などはほんの少し体験させてもらえたにすぎないのですが…。
とにかく一応今日の作業は終わりということで、老人の畑にみんな集合して、お茶とお菓子で労われ、解散ということになりました。
ということで、これからは少しこの楽屋の方に参加してみようと思います。

カテゴリー: 台峯を歩く パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です