催し物などは、忙しかったりして出かけなくなると、いつの間にかさっぱり腰が上がらなくなるなるもので、映画もこのところご無沙汰だったが、Sさんから「良かったですよ、お勧めです」と知らせを受け、今週いっぱいで終るということから早速出かけた。これまで見たいと思い、いつかは観るつもりであったのだが。
ベトナムの新進映画監督トラン・アン・ユンの作品は、繊細で官能的な美しさをもつ映像表現は素晴らしく私自身も魅かれていて、これまでも『青いパパイヤの香り』、『夏至』は観ていた。しかし今回は自国のベトナムではなく日本が舞台である。なぜだろうという思いもあった。
だがこれまでも舞台はベトナムであるが、自身はベトナム戦争の際に一家は亡命してフランスに渡り、その後彼はパリで育ち暮らしているので、その感性は東洋のベトナムを土台にしながらフランス文化の影響、すなわち西欧的な明晰で繊細な感性知性で磨かれたものに違いないのである。
そういう彼が、どうしてこの作品に、そして日本での映画作りに心惹かれたのだろう。
映像化に際して、春樹(トラン監督の作品の美しさに魅了されていたとの事)も本人と直接会って了解したようで、また題名にもなっているビートルズの曲を使うことも了承を受けたようである。脚本も春樹は目を通していてメモをつけ注文もつけたようである。キャストのオーディションや撮影などはすべて日本、なぜなら「僕が魅了されたのは日本らしい文化や日本人らしい佇まいであったからです。」とトランは語っている。
驚いたのは最初のシーンである。原作は37歳になったワタナベがドイツ行きの機内で「ノルウエイの森」を耳にして18年前の、直子と恋に落ちた時のことを思い出すことから始まるのだが、ここではそれを思い出としてでなく、現実の事実として始めるのである。すなわち共通の友人であったキズキが何の前触れもなく自殺してしまう。(その行為の現場から始まるのには驚いた)。親友を失ったワタナベは、誰も知らないところへと東京の大学に行き生活するのだが、或る日直子と再会して交際が始まることから実際の物語は始まり、その時すでに直子はキズキの死により深い傷を負い精神を病んでいるという展開になっていく。
東京で偶然直子と再会したワタナベは、その後直子と付き合いながら学生寮での学生生活をし、ちょうど時は学園闘争(1970年代)の真っ只中での大学生活やアルバイトなど、社会情勢のなかの若者としての生活を送る。その暮らしを語りながら日本のその頃の懐かしい情景(大学のキャンパスや学食、レコード屋、アパートや昔の家など)や風景が再現されているにもかかわらず、どこか違った感触があるのはなぜだろう。森や草原や渓流や滝や蓮池や雪山や海原や岩礁など自然の風景、そしてそこに降り注ぐ雨や風や波などが、登場人物の心の動き綯い交ぜにしながら描かれるその映像の素晴らしさに魅了されながらもこの美しさは、いわゆる和的ではないなあ・・と思うのであった。
水の使い方(プール、雨、波、雪など)、風の効果(草原や海岸などで)の巧みさ、そして日本らしい佇まいが好きだという監督の、当時の暮らしの細部(家屋そのものと同時に調度品や台所用品また衣装なども)が再現させられているのに美しさと懐かしさを感じながら思ったのは、これは日本そのものと言うよりは、監督の感性を通した日本の美しさだなあ、と思い至ったのだった。
表現とは皆そういうものかもしれないが、そういう彼独特の感性で、切迫した感情と官能、そこでの荒々しさと繊細さを自然の中に溶け込ませながら青春期の若者たちの姿として描いている映画となっているように思えた。
この小説は、春樹の中ではほぼ全体がリアリズム的な作品である。それがいまや日本という国を越境して世界的なベストセラー作品となっているように、トランの映画も日本でありながら日本を越えたものになっているのではないかと思うのであった。
最後は原作通り(予想通りでもあった)ワタナベが公衆電話から緑に電話をかけるところで終る。
「あなた、今どこにいるの?」という緑に、ワタナベは「僕は今どこにいるのだ」と思う。そしてどこでもない場所の真ん中から緑を呼び続けるのである。
まさにこれは青春の物語である。青春期の悩み苦しみはどんな国の人々にも共通する。ふっと私はサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を思い出した。
ワタナベは松山ケンイチ、直子は菊池凛子、緑は水原希子、その他のキャストも監督自身がかかわっただけに、みな的確であるように感じた。
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