梅雨明け宣言後も梅雨のような天気が続き、その末期症状のような日々だが、昨日は珍しく晴れ間となった。
近くの高校の演劇が、昨年に続いて全国大会への出場の権利を獲得、それに向けての公開リハーサルを行なうということなので出かけた。予選2700校の中で勝ち残った12校の1校である。新聞にも紹介されており、期待できそうである。
前年と同様、野外公演なので、お天気がよかったことは幸運であった。雨だったらどうしたのだろうと、思ったが。
夕方7時開演に向けて、日が傾くと蒸し暑さも和らいできて、ヒグラシもなく始めた中を夕涼みの気分で高校へむかった。
去年と同様、奥まった木立が繁る崖と校舎に挟まれた場所に舞台装置が設えた平面の舞台と折り畳み椅子が並べられた観客席がある。夏場なのでまだほの明るいがだんだん暮れていくのが分り、涼しくもなっていくので心地いい。蚊の心配もいらなかった。
「じゃがいもかあさん」の原作はアニータ・ローベルの絵本であるという。
時は1944年、第2次大戦下のポーランドと聞けばすぐ分るように、これはナチの収容所送りを絡めた反戦劇である。しかし絵本が原作の音楽劇であることからも分るように、とてもカラフルで音楽と踊りにもあふれた楽しい舞台である。しかもその奥に悲惨で深刻な歴史の事実、それら人間の根源的な悪、すなわち戦争と言うものの愚かさと悪とを描き出した重いテーマが潜まされており、新聞記事の見出し、リードの言葉を借りれば「戦争 鬼気迫る演技で 踊り、笑い、涙あり」に演じられていて、さすが代表に選ばれた演出だと感心した。
幕は、今取り壊されようとしているポーランドの劇場、そこに70余歳のアニータが、衣装箱の中に隠していた劇の脚本を取りに来る事から始まる。
それは彼女が13歳の時の書いた脚本で、それはナチス軍に追われてここに潜んでいたユダヤ人とポーランド人が、共に演じようとしていた劇のためのもので、そこから一挙に1944年の12月へと時代は遡る。しかもその劇場の地下に潜む彼らによって実際、アニータの脚本による劇が演じられるわけで、すなわち劇中劇も加わるという構造で、演技者も部員のほとんど51名が出演ということで、役も一人2役3役を演じることもあるようで込み入っていて、最初は筋が追えるだろうかと懸念されたが、場面の切り替え、転換も素早く適切で、見るものの頭の中はちゃんと整理されて、十分楽しむことができた。
「じゃがいもかあさん」というのは、その劇中劇の脚本の「かあさん」で、西の国と東の国に挟まれた、すなわち国境にある家に住んでいて、夫は戦争に取られて死に、二人の息子を一人で育て上げる。すなわちヨーロッパでは主食のような、そしてどんな寒さの中でも出来る「じゃがいも」一筋で若者に育て上げるのである。西の国と東の国は戦争ばかりしている。戦争から自分たち一家を守るためにかあさんは、高い塀を建てて暮らすのであったが、成人した息子たちは、西と東の軍隊に憧れて、かあさんの制止も振り切って志願してしまう。互いにそれぞれ武勇を立てて将軍になり、相手国に攻めていく。結局兄弟が刃を交わすことになり・・・それを止めに入ったかあさんがその刃を受けてしまう・・・と言う展開になるのであるが、これから先は言わないことにしよう。とにかく戦争の愚かさと悲惨さ、人間のどうしようもない欲望が寓話的に描かれる。そしてそこで最後に帰りつくのは母なる大地であり、その地面の中で育ち人間を養うじゃがいもと言う食物であることであり、大戦の最中に描かれた13歳の少女の反戦の脚本ということになる。
この劇がなかなか面白く、楽しい。じゃがいもの発育過程やそれを食い荒らす青虫は皆人がそれを面白く表現した衣装を着て演じ、東軍・西軍の玩具の兵隊のような制服や振る舞いも楽しく。雪崩の様子もやはり人が演じる。楽器もピアノやクラリネット、サクソフォンなどもあり、楽しいのである。
しかしこの劇中劇は、演じる彼らがまもなく収容所に送られる運命の中で演じられるのである。それでもまだ、彼らは収容所では劇を演じるようなことも出来るという一縷の望みを持っている。それに常に冷や水を掛け、冷笑する黒マントを来た死に神のような男がいる。実は彼は収容所から脱出してきた男で、実態を知っているのである。
またその潜伏している劇場の地下にはユダヤ人とポーランド人がいる。その対立も時にはあるという構造もあり、とにかく複雑であるのだが、それをあまり感じさせなかったということは、やはり原作と脚本ががしっかりしていて、また部員たちの切れの良い、練習で磨き上げた演技の巣晴らしさにあるのではないかとおもい。前回よりも数段に上達したと私には思われるのであった。
最後は、楽しい劇中劇を演じ終えた後、皆で記念撮影をする。そのシャッターを切ったのは脚本を書いたアニータであるが、写真の全員はこの後(それを暗示する不吉なノックの音が聞こえる)収容所で殺され、ただ一人アニータだけが生き延びたのである。舞台には、まさに写真のように貼りついたような全員が写しだされ、そこで幕が下りる。これが戦争の現実なのである。
ブラボーと言う声やよかったよ・・と言う声が飛んだ。
大勢の出演者が、全身全霊でその若さをぶつけているような舞台、その漲るエネルギーに圧倒された。高校生と言う若さでなければ作れないような舞台だと感じながら、全国大会ではきっといい成績が取れるにちがいないと言う思いを抱きながら帰途につく。今回も出口に全員が並んで拍手で送られ、そのなかを花道のように観客は通らされながら出て行く。ほんとうによかったですよ、と言いたい気持ち。
外に出ると真っ暗である。空には雲もほとんどなく星も見え、西に傾いた三日月(実は月齢5日)がくっきりと美しかった。
梅雨の晴れ間の幸運な一日、全国大会にかけても運が付いてくるようにと祈りながら家路をたどった。
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