『源氏物語』世界の権力者・政治家

今の総理大臣の教養の程度が、漢字を読み違えたりなどして話題にされているが、この物語の時代であれば、政治家として失格であろう。もちろん貴族社会の最盛期であり、物語であることは承知のうえだが、読んでいるうちにそんなことをしみじみと思う。
源氏は、後宮の女性たちの中では身分の低い更衣腹で、そのため母はいじめにあって死にいたるという出生であり、その後も一時勢力争いに敗れて、須磨に流されたりするが、最後は最高の地位、権力を持つことになる。もちろん源氏は、光る日の宮と呼ばれるほど美形で才能もあふれた、理想像として描かれているが、それが同時に現実社会においても最高の地位に相応しいと描かれていることが面白い。
とにかくこの時代(勿論物語の中での話しだが)、男女共に貴族として生きるのも大変な事である。身分や財産、姿、形は別にしても、文学的、芸術的な素養や知識、才能がないと付き合いも昇進もできないからである。付き合いのための消息には和歌を詠むことが必要で、恋をしかけるのもまたそれに応えるのも和歌の出来栄えが問われる(それで侍女が力を貸したり代作をしたりしてお姫様を助ける事もある)。音楽も、琵琶や和琴、横笛など何かが演奏できなければ恥ずかしい。公け事といえば年中行事であり、花見の宴、藤や紅葉の宴、また帝の何歳かの賀であり、また仏教や神社の祭礼であり、その度ごとに器楽の演奏がなされ、舞を奉納しなければならない。言って見れば年中遊んでばかりいる感じである。勿論このように年中「遊ぶ」ことができるのは、貴族以外のものたちの働きを吸い上げているからであるが、文化・芸術とは結局そういったものではないだろうか。そしてそこから、源氏物語のような最高のものが生まれるのである。
単に音楽・文学的なものだけではない。ここには絵画や香道、書道のあれこれも描かれていて、何よりも読んでいてため息が出そうになるのはその装いの詳細である。人物が登場すると、どんな生地のどんなものを、その色彩(季節や場所などTPOによってどんな襲[かさね]の色目か)までが詳しく語られ、いちいちそれを思い描いていると先に進めない。衣装によっても人物の評価もなされるわけで、デザイン、お洒落のセンスも問われるのであり、消息やその和歌の筆跡によってもやはり人物は類推され評価される。
そして源氏はこれら全てにおいて、超一流である。すなわち人望を得るのは人柄は勿論だが文学・芸術的な教養やセンスに富み、女性たちをも惹きつける、いわばアイドルのような人物に設定されているのである。
しかもこれを読みながらフランスの太陽王ルイ14世の時代をおもった。フランス芸術の偉大な興隆期になった時代である。この頃からフランスは芸術の都となっていく。イタリアなどに遅れをとっていた音楽、オペラなども「フランス様式」の形成、洗練されていく。それを王自らがイタリア人のリュリを舞台音楽総監督にすることによってなし遂げ、自分も踊ることを好んだということは少し前に上映された映画『王は踊る』にも描かれている。
その後武士の世の中になり、武力ですぐれたものが天下を取るようになった。戦争の時代も結局戦力によって天下を治めようとするものであろう。戦争を放棄した日本は文化国家として生きるほかはなく、とすると源氏のような人間が最高指導者として、皆の信望を集めるのではなかろうか。勿論今の市場経済、経済戦争の世の中では一笑に付される世迷言にすきないであろうけれど、政治家の資産の一覧を云々するより、政治家の文学や音楽、そういう芸術的な素養や教養の程度の一覧をみせてもらいたい思いがする。少なくとも政治家の品位、品格を考えるのに参考になるだろう。
アニメの殿堂という箱物に莫大な税金を使うよりも、それに携わる者が十分「遊べる」ように補助をしたり、自らも政治運動ばかりに金を使わず、自分の教養や芸術的な素養を高めるために使った方がこれからの世の中には必要で、何よりも平和的だと思うのだがなあ・・・と思うのであった。

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