このあたり桜はもう満開、花吹雪である。隅田堤、すなわち墨堤も今日明日と花見の人で賑わうことだろう。こういう花見の習慣は江戸期からのようだ。
先日、『浅草物語』(小旗欣治作)を見てきた。これは小旗さんの実家(綿屋)をモデルに昭和の東京下町浅草界隈の庶民の生活の哀歓を描いた物語である。戦争に突入していくまでの平穏でつつましく小さな陽だまりのような平和な暮らし、これらは東京大空襲によって壊滅させられてしまう。懐かしのメロディーといってしまえばそれまでだが、戦争への危機は今なお続いており、世の中の急速な発展に振り回され油断すれば弾き飛ばされてしまいそうで心休まらない昨今、昭和という時代、特に大戦以前が一種の郷愁のように思い返されるのかもしれない。
還暦を過ぎた隠居の身のおじいちゃん(大滝秀治)が結婚したいと言い出す騒ぎを中心に、その綿屋の堅実な家族(夫を失い懸命に子を育て店を切り盛りしてきた妻を、日色ともゑ)、浅草十二階下カフェーのママ(奈良岡朋子)などといった配役で、赤紙が来たという赤子の時に手放してしまった息子との対面(?)という多少のドラマと泣かせどころを含みながら、当時の暮らしが舞台に再現される。吉原も隣接し、カフェのママの前歴もまたおじいちゃんが結婚すると言い出した相手も花魁上がりである。
浅草は当時大衆芸能の発祥の地であったが、文学においても下町界隈は、そういう面を持っていた。山の手文学があるように下町の文学がある。芥川龍之介をはじめとして隅田川、すなわち大川のあたりは当時の文学者をひきつけるものがあって、生地ではないが永井荷風がこの辺をうろついた事は言うまでもなく、多くが魅せられている。太宰もこの地で女義太夫に熱を上げたとかどうととか。いかにも西洋風でモダンな立原道造は本所生まれの箱物屋の息子、この伝統はやはり壊滅させられたはずの今日にまで続いていて、最近では吉岡実、会田綱雄、辻征夫などもそうである。
江戸期からの文化が淀んだ土地、そういう成熟というか腐敗に近いところからそれらを堆肥として文学の芽が育つところもある。パリがそうであるように。
私は地方出身なので、それらからは遠い。しかし東京に出てきて、最初に勤めたのがこの界隈だったので、少しだけその香りをかいだ。その頃はまだ東京はただ西に伸びりことに懸命であった時期、何の整備もなされていないようで、汚く侘しげな場末の感がした。まだ都電が走っていた頃で、本郷三丁目辺りから延々と路面電車に乗って、上野や浅草、吾妻橋を渡り、寺島まで通ったのである。今また江戸の文化それに伴って下町の文化も若者たちに見直されいるようだが、西洋などの下町と違って何かしら侘しくはかない気がするのは、私の心の在り様ゆゑだろうか。
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