山口・下関旅行(3)

午前中4時間の定期観光バスに乗りました。
昨日それを知り申し込み、バスでは寄らないところだけを訪ねたのですが、今日はあなた任せのすっかり観光客になりました。ところがなぜか6人の乗客の中で(平日なので乗客は少なくたった一人ということもあって、この日は多い方のようでした)いつもバスを降りる時に、もたもたして最後になってしまう私でした。
観光バスというのは、とにかく盛りだくさんにいろいろな所を連れ歩き、知識を次々詰め込もうとするのですね。ガイドさんは、乗客がちゃんと自分に注意を向けてよく聴いていないと快くないみたい。学校の先生みたいだなあ・・・と、(自分も多少その経験があるのを棚に上げて)可笑しく思いました。
バスは観光の定番の、安徳天皇を祭った赤間神宮、その裏手にひっそりと弔われている滅びた平家の武者たちの碑、日清講和条約が結ばれた料亭(記念館)などに寄り、源平合戦のあった壇ノ浦、武蔵が決闘した巌流島や前日泊まった宿などを車窓に眺めながら関門橋を渡って門司港レトロ街に着きました。
ここはレトロの名称通り駅自体が昔のままの風情、街中にも明治・大正時代からの古い建物を沢山残し、あたり全体を観光化しているのでした。そこを自由散歩、近代的な高層マンションの31階の展望台からの俯瞰を楽しんだりしたのちバスに乗ると、関門トンネルをくぐってまた本州に戻り、今度はこれも古い城下町のたたずまいを色濃く残した長府へと向かいました。
ここは長府毛利藩の城下町、深い緑と美しい流れをもつ静かな町で、国宝功山寺の仏殿は山口で見た瑠璃光寺五重塔に通じる美しさがありました。ここも長屋門のある屋敷や侍屋敷の街並み全体を残そうとしていて、昨日、市美術館に来た時に一人で訪れた長府庭園もその一つです。
ここも暫くの自由散策でしたが、なんと言っても真夏の昼近い時間、緑が深いので日陰はあるにしてもあるくのはもう限界のようでした。町の真ん中を貫く流れの中、鴨たちも日陰の石の上にぴったりとお腹をつけてうつらうつらと昼寝していたりして・・・・。
これで観光の行程は終了、車窓に唐戸市場(この近くにある水族館に入りたかったな・・)や海峡ゆめタワーを見やりながら下関駅に帰ってきたのでした。
この旅は私のルーツ探しの一つでもあったわけですが、その思い入れもありますが、下関が、そして山口県が好きになりました。下関は明治以降外国に開かれた海峡の町、港であり、明治維新と開国の様子を偲ばせる古い建物もあちこち残っていて、小さいながらも横浜の街に通じるところがあるようにも思えました。歴史と文化があり古いものが残っていて、しかも自然もまた美しく、本州の端っこであることから日本海と瀬戸内海の両方に接して変化に富み、萩や津和野などもあって行きたくなってしまいます。
ここだけでなく、地方はそれぞれに頑張っているんだなあ、日本にも自分が知らないだけで沢山素晴らしいところがあるんだなあ、という当然のことでしょうが実感、発見でもありました。
これまで博多に帰りながら一度も訪れたことのなかったこの地を、訪れる気持ちにさせるきっかけを図らずも与えてくださった水野さんに感謝、感謝の気持ちです。

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