映画『東京家族』を観る

 山田洋次監督のこの映画が、近くで上映されたので観に行った。小津の代表作として世界的にも有名な『東京物語』は、1950年代、高度成長期に至る前の核家族化とその末の老齢社会化を予兆するような内容だが、それを今日に置き換えたときどう描かれるのだろうかという興味もあった。
 まさにこれは山田監督自身が字幕にも書いているとおり小津安二郎の『東京物語』へのオマージュであってそれ以上には出ないように思えた。老夫妻(この年齢設定も今日では老齢という年ではなくなっているだろう)の暮らす長閑な町も、尾道ではないとのことだが似たような近い土地、笠智衆の役が橋爪功で、始めは誰か分からないくらいで、笠智衆のような根は頑固だが茫洋とした雰囲気を出そうとしている懸命さは感じられるものの、やはり笠の独特の風格はなかなかまねできないに違いない。東山千栄子の妻の役は吉行和子だが、こちらは適役に思えた。3姉弟の設定も、長女が美容師、長男が医者という点は同じである。最後の戦死した次男、そして今は未亡人になったその嫁を演じる原節子が、後半部で老夫婦を支える重要な人物となるのだが、その部分だけは今の社会に照合させて、戦死ではなく父から全く認められていないフリーターの舞台芸術家、そしてその婚約者が3:11の大津波の被災地先で同じくボランティアをしていた女(彼女も被災者の一人)で、それを蒼井優に演じさせている。しかし登場する場面は短く原節子のように都会の片隅で咲いた百合の花のような存在にはなっていない。
 重要な場面はほとんど、細部にわたって「物語」を踏襲している。ただ長女や長男のいずれにも泊まることができずホテルに泊まらせられることになるのだが、それがうるさくて眠れないような宿ではなく、横浜の「みなとみらい」の大観覧車が見える豪華ホテルという点、あまりに広くて豪華で、勿体なくて一泊で出てきてしまうなどは、皮肉を込めたユーモアかと思わせられたりもした。
 けれども型があるという事は、どうしてもそこから出ることは難しく、大都会における今現在の家族の在り様、また故郷というべき地方の在り方などをそれ以上描くことはできないだろう。あくまでも小津監督に対する敬意と愛惜を表した映画なのだと思った。
 そして思うのだった。宮崎駿の最後といわれるアニメ映画「風立ちぬ」も時代に対する愛惜である。
いま次々に時代を画した有名、著名人が亡くなっていく。そして世の巨匠といわれる人たちもエネルギッシュに仕事を推し進めるというよりは、すでに事なり回顧の心境に今は至っているのでは…と思われるのである。そして時代もまた、一つの転機、爛熟期になっており、良くも悪くも大きく変わっていくのだろうという思いが深くする。私自身もその去っていく時代の一人であるが…。

カテゴリー: 北窓だより パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です