これはドイツ南西部、黒い森の中にある小さな町シェーナウ市(自然豊かな、人口2500人くらいの静かな町)で、チェルノブイリ原発(2000K離れているが、ここにも放射能が降った)をきっかけにして、親たちが子どもの未来を守るためにと、「原発のない未来のための親の会」と立ち上げ(フランスの原発からは30キロ圏内という)、原発反対から始まり、最後には自分たちの電力会社を作るまでに至り、今ではそれを外部にも送電できるくらいになったという、「電力の革命児」と言われている町の、そこに至るまでの過程を描いた自主上映のドキュメンタリー映画であった。
ドイツが国としても即座に原発は作らないという方向に舵を切ったのに、事故当事者である日本では、行く末はその方向を目指しているもののという糖衣錠をかぶせた形で、国が再稼働にどうして踏み切ってしまっのたか? と思っていたが、この映画を見るとなるほどと思わせられた。このような市民意識がすでに育っていたのである。
もちろん国土の規模や風土の違い、民主主義の成熟度などの違いもがあり、比較はできないという思いもあったが、これを見ているうちに決してそうではなく、状況は同じなのだと思えてきて、日本でも不可能ではないと思え、それはこれを日本で公開した人たちの考えでもあったようです。
市民たちが太陽光、風力、水力など自然エネルギー発電をして、それだけで成り立っている市民の電力会社…。しかしそこの住民が特別であったわけではなく、専門家もいるわけではなく素人ばかりの平凡な市民たち、ただ会を立ち上げたことで、そこに外部から専門家や学者が集まってきて知恵が集積したということなのであった。
また電力会社という、金儲けを主として考える、独占の企業の体質は、どの国であっても同じ構造を持っている。環境にやさしくなどと考えるより、どうすれば収益が上がるかが優先し、システム自体がそうなっているのである。たとえば、節電したほうが安くなるより、たくさん使ったほうが安くなるというシステム、またドイツにも「原子力ムラ」の構造があり、それに市民が抵抗する難しさも同様にあるとのこと。それらを一つ一つ克服しながらここに至るまでが、1時間のドクメンタリーで描かれたものでした。
また町自体も、全員がこの運動に賛成したわけではなく、ほとんど5分5分、それを集会や戸別訪問で、この方向にまとめていったという経緯があります。もちろん投票や決定となるとそこには感情も無視できません。小さな町で誰もが知り合い、最終決定した後も互いに共に暮らさねばならない人間関係、シコリが残らないかと思われますが、そうはならなかったことにも納得できるものがありました。
折しもその夜はTVでマイケル・サンデル白熱教室があり、議題は「これからの復興の話をしよう」でした。これまでの架空の論題ではなく、現実の話、東北在住の1000人との議論で、(これは初めての試みとのこと)、当然のことですが、サンデル氏は、結論じみたものを自分から決して出そうとはせず、議論の中から自然に出てくるのを待つのですが、この時の議論にシェーナウの町の例に通じるものを感じたのでした。
そこに出た論点の多くについて5分5分でした。そして最後のほうで復興事業が遅れていることに対して、事業のスピードを上げるためには住民の合意がえられるのを待たないでもいいという意見と、そうしてはいけないという意見、この微妙な問題が出たときに、ある意見に氏は頷きながら、合意と納得とは違うということですね、と言ったのです。
合意は、意見が一致すること。しかし納得はそうではなく、意見は違うが、状況や相手の意見などを考えた結果、そうせざるを得ない、そうするのも仕方ないなあと頷くことだからです。そしてその納得は、お互いの良く話し合い、考えた末に出るもので、そのためにも十分な議論、話し合いが必要だと氏は結んだのです。
シェーナウもたぶん原発反対と母親たちが立ち上がってから、十分に話し合い、活動し、知恵を絞る間に最初はほぼ5分5分であった反対派を納得させ、町全体としてその方向へ進んだのでしょう。最初は互いに意見は違っていたが、こうなってみればよかったと納得したのだと思います。サンデル氏も言ったように、それが同じところに暮し共存するもののやり方だと私も納得したのでした。
そしてこの東北在住の1000人の議論の現場を見ながら、これは氏が意図したものでしょうが、最初の意見で、「東北人は、他人の悪口を言って自分も相手も気分が悪くなるより、自分が我慢すればいいと考えるようなところがあるので、このような議論の場は成立しないでしょう」という意見を取り上げ、最後はそうでは決してなかったことが証明されたような形になったのも、互いに意見を率直に出し合い話し合っていくことの大切さ、それが民主主義なのだと、これも納得させられる事柄でした。
会場では『原発をやめる100の理由』(築地書館)という本も売られていました。ここには「ドイツから」としてドイツの現状と、「日本では…」として日本の現状の比較がなされています。
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