昨日の日曜日、関東地方は冬晴れで富士をはじめ箱根から丹沢までの山並みもくっきりと見え、冷え込んだものの歩くには気持ちのいい日和でした。
今年最後の歩く会です。月に一回同じところを歩くこの会も、今日で150回(13年目)を迎えたのだそうです。
台峯を残そうと活動をする会はいくつかありそれぞれに意見はあるものの、お互い話し合いながら、出来るだけ今の姿が保全できるように手入れをし見守っていくということ。
絶好の日和ですが、「今日は下を向いて歩きましょう」とK さんは言います。
もちろん、下ばかり見ていては首に悪いから、時には空を仰ぎ美しくなった黄葉(紅葉)を眺めたり、耳を澄ませて鳥の声を聞きながらですが…と。
今年は本当に大変な年でした。
Kさんも親戚が被災して、何とか今は落ち着いているとか…。誰もがそれぞれに直接被害は受けなくても、心身ともに大きなものを抱え込んでしまった今、どうしても下を向いて歩いてしまうでしょうけれども…。
いえ、それだからではないのです。「今日は落ち葉や木の実をじっくりと観察しながらというのをメインにして歩きましょう」と言うことでした。この辺りはやっと黄葉(紅葉)が美しくなりました。やはり1週間ほど遅れているそうです。しかも台風による塩害で枯れたり色が悪いところも多いと。確かにこの家の前方の雑木林も白っぽくくすんだ色で、いつもとはちがう感じで海風は当たらないはずなのに…思っていたのですが、何とか見られるようになり、我が家のカエデも今が盛り、落ち葉掻きに追われるようになりました。でも今年はそれらを堆肥にしないで燃えるゴミに出すことにします。微量であっても放射能が累積するかもしれないと思って。
さていろいろな落ち葉のサンプルがコピーされた資料を持って歩くことになりますが、去年もまた一昨年も同じことをやっているのになかなか覚えられません。
ケヤキ、コナラ、クヌギの落ち葉は12月まで地面に残り、堆肥になります。
ミズキ、アカメガシワは、昔はなかったもので、新しく入ってきた種族、イヌシデ、エノキなどこれらの落ち葉を手に取って揉むと、粉になってしまうが、それは堆肥にはならない。すなわち葉肉が厚くすぐ分解しないものが腐葉土となって土の栄養になるとのこと。
それらの見分け方は、葉の形、ギザギザの付き方、葉柄の長さや色や付き方、葉脈の走り方などよく見れば同じようでいて違いがあって、人間と同様に微妙な違いで個性を発揮しているのに感嘆させられます。今は葉っぱで見分ける樹木図鑑のようなものもあるので、ここには書きませんが、Kさんのように何を見せてもすぐ答えてくれる、その識別方法を指導してくれる人と一緒に歩くのが一番です。でもそれを毎年忘れてしまう私なので、自分でもがっかりです。
この辺りは紅葉は少なく、寺院に植えられている園芸種のカエデ以外は、野生のイロハカエデとハゼ、カマツカというサーモンピンク色のものくらいです。でもエノキなどの黄葉も、青空の下太陽の光を透かして眺めると黄金に輝いて素晴らしい美しさです。
木の実としては、カラスザンショウ、スギ、ハゼ、エノキ、シデなどの実、それらの姿もまた落ち方もそれぞれで、皆種族の繁栄に術を凝らしているわけです。
2つの田んぼに先月、暖かさで青い葉をつけていると述べましたが、それに穂がついているのでした。しかも陰になっているところには霜がびっしり、可哀そうにも稲は無駄な努力をさせられているのでした。
野鳥は少なくなっているようです。それでも池には子連れのカルガモ、ヒヨドリやシジュウカラ
、コジュケイなど。
16日、政府は「原発事故収束」を宣言しました。もちろんこれからが困難だとは言っていますが。台峯から帰った夜、「NHKスペシャルシリーズ 原発危機」で初めて原発事故の現場の綿密で詳細な真相が放映され、それを見て愕然としました。やはり原発はメルトダウンしただけでなく、(3月12日午後1時に)メルトスルー(格納器が壊れて下に落ちる)までしていたのです。しかも事故の拡大を防ぐチャンスはありながら、それが分からなかった、スリーマイルではその危機管理がなされるようになっていたのに、それを学んでいなかった。日本の原発が危機に陥ることはないと、管理委員会は信じていた。「原発安全神話」を信じていたのは、彼らなのでした。そしてそれを政府は隠し続けた。私たちは真実を知らされないままでした。
そこでの現場関係者の実名インタビューで、そのことを認め、しかもまだ事故は収束に至ってはいないと言っています。
同じ日のお昼の「日曜喫茶室」は、今年最後でもあり、3・11の事もあって、いつもは常連客として登場する4人(安野光雅・池内紀・轡田隆史、荻野アンナ)にそれぞれ、そのことについて語り合う特別番組になっていて、そこで安野さんが、先の大戦の終戦間際、敗戦に敗戦を重ねているにも関わらず、大本営発表では、「転進」していかにも勝利しているように報じた方法と同じで、国民に真実を語らない政府の隠蔽態度は、その時と全く同様ではないかと憤慨していましたが、まさに3・11の後、天皇が姿を見せ、原発事故が知らされたとき、終戦(敗戦)時と同じことが繰り返された、同じアヤマチを私たちはまた繰り返してしまったと感じた人も多いに違いないのでした。今回は「原発安全神話」を、その時は「日本は神国だから負けることはない」という神話を信じていたのです。その他はすべて「想定外」だったのでしょう。
これからどうなるか、どうするか、多くの課題を残し、それを抱きながら今年も暮れていきます。
明日滅んでしまうかもしれないかもしれないけれど木を植えると言います。パンドラの箱に底に残った希望という命を来年につなぎ、少しは良い年になりますように、皆様もどうかよいお年をお迎えくださいますように祈りながら、今年最後のブログといたします。
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