「インド音楽 シタール演奏」を聴きに行く。(大震災8か月目)

恒例になったシタール演奏を去年は風邪のため出かけられなかったが、今年は出かけることができた。震災8か月目の次の日である、ということもあってか何故か身に染みた。
インドの代表的な弦楽器シタール(共鳴胴は乾燥したトウガンからできている)と打楽器(小太鼓やつづみに似ている)、それにタンブラーという始終低音を奏でているシタールより長くて細身の弦楽器によるもので、堀之内幸二氏の独奏、そして合奏(タブラ=龍聡氏)であった。
演奏する曲は、一日の時間帯や季節の巡りに合わせたもので、朝のラーガ(旋律)、夜のラーガなどと言われ、またその旋律も演奏者個人の感性による即興性も加わって演奏されるという。聴いているとその微妙な変化による単調なリズムと旋律は眠くなるようであるが(実際私も途中うとうとした)、それは心地よく、終わってからも暫らく身体の中に旋律とタブラの響きが残っているようである。今もこれを書きながら脳裏にその音が微かに聞こえてくる。たぶんその音楽は、建築物のように構築され練り上げられたものではなく、風や波の音、せせらぎや木の葉のそよぎに似ているからかもしれない。
背後のスクリーンには、昨年行われたインド・ツアー旅行で撮った実景が映され、特に演奏の時はベナレスのガンジス川に夕日が沈んでいく光景が映し出されているので、震災の多くの死者たちへの思いも重ねられ心に染みたのかもしれない。
そして帰ってきて、7時のニュースでやっと初めて福島第一原発に報道陣が入ることができたということを知った。ただそれは細野原発相と同行するという形でとのこと。そして吉田所長へのインタヴューを聞いたのだが、それは爆発事故を聴いたとき、放射能は人間の手ではコントロールできないので、もう死ぬかもしれないと思った、といった率直な発言がなされているのを聞き驚いた。現場を見た記者の、事故の凄まじさに言葉も出なかったという報告と合わせて、やはり初めから今のようになる可能性は分かっていたのだと思いで愕然とした。やはりパニックを起こさないように隠されていたのだ。そして、しかし今は何とか安定している(しかし今後どうなるかは不明)、だから安心するようにということである。
何とか安定するまで漕ぎつけたので、所長も当時の本音を漏らすことができたのであろう。
私は慌ててこの日の新聞を見返した。しかし最前線(原発事故の復旧作業基地になっている「Jヴィレッジ」)に報道陣が入ったと報じられているが、インタヴューも原発事故の現場も報じられていない。パソコンを開け、そこでのニュースを見ると、インタヴューの記事はあった。しかし聞いたのより和らげられている感がした。今は安定しているから安心するようにという意見が前面に出ている。ところがそのうちその記事が消えたのである。この日はニュースが犇めいていた。今日本にとってはTPPが切実な問題である。トルコでも地震があり、タイの洪水はなかなか収まらない。ヨーロッパの問題、オリンパスもあり巨人の内紛、しかもこの日女子のフィギュア(これは私も楽しんだ)もあった。それらの報道で消えてしまったのである。しかしまたその後、記事は復活した。
心安からぬものがあったが、朝の新聞では第一面に、大きく原発事故の現場や所長の発言が掲載されていて、安心した。
私個人で自分を振り回していたことに苦笑しながらも、これらを考えるに、下衆の勘繰りと言われるかもしれないが、福島原発事故の現場視察は、実際は、8か月目の11日に行われ、その報道記事の発表は12日ということにしたのではないかということである。報道記事をよく読むと11日に入ったということは書いてあるが、12日に入ったとは書いてなく、「初めて公開される」という書き方になっている。すなわち11日の視察内容、記事を調整して12日に公開、発表するという事なのだ。
ここでそれらを非難しているわけではない。所長も死ぬ思いで事故の収束に懸命になったであろうし、作業員たち、記者たちも高放射能の中で必死に自分たちの職務を果たしている。みなそれぞれに懸命に持ち場で頑張っていると思うけれど、報道、マスコミというものはこういうものだということを、やっといま痛感しているという事だけを、自戒を込めてここで書いておきたかった。

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