もうこれ以上大震災、原発事故についてブログを書かないと言いましたが、あと一回書きます。
なぜならそれがチェルノブイリを、或る点では超えるかもしれないと言われる状況になってきているようだからです。
今私は原発事故に対するTVのニュースをほとんど見ないし、見たくありません。だらだらした事後報告や状況説明などは新聞を見ればわかりますし、見ていると感情が波立つばかりですから。
最近それらに対応するものとしてタイトルに書いた2冊を読んでます。
『東京焼盡』は、先の大戦下の終戦の年の一年間(昭和19年11月1日~20年8月22日)にわたる百閒による克明な日記です。「本モノノ空襲警報ガ初メテ鳴ッタノハ」19,11,1、で、その日を第一日として終戦直後の21日までの300日、この間に東京は一面の焼け野原と化した。まさに焼尽である。その実態を鮮烈に、しかも克明に伝えているのには驚嘆する。若いころから百閒は日記を書き続けていて、それも文章修業との一つとしていたそうで、これもその一つにすぎず、その部分を戦後ひと纏りとして出版したのだが、「語調の潔さと凄絶さ、誠に見事に、帝都の壊滅を伝えるにふさわしい格調を伴っている」という評の通りである。
しかもこれは、いわゆる知識人などによる思想的、思索的なものではなく、また荷風のようにいかにも文学者的な感慨を伴うものなどではなく、至って庶民的な日常生活の中での行動や思い、生活感覚がその視点から書きつづられているので、今の非常時にも重なり臨場感さえ帯びてくるのだった。
空襲が激しくなったとき、絶対に疎開などしない、「何ヲスルカ見テイテ見届ケテヤラウト云ウ気モアッタ」と「序ニ代ヘル心覚え」にある。まさにその通り、よくも毎日のように空襲があり、食糧は乏しくなり、薄い粥でさえままならぬ中、よくこれだけ正確に(空襲のあった時刻や来襲した敵機の数や焼けた地域のことなど)把握し書きとめたことかと感心する。そして空襲に怯え夜もよく寝られず、防空壕だけでなく表に寝なければならず寒さに震えながらよくもこれまで書き続けたその散文魂に打たれました。3月10日のもっともひどい下町界隈の住居ではなく山の手(四谷あたり)であったのでまだ余裕はあったのかもしれないが、それも5月25日、焼夷弾によって自宅消滅。その日の記述がまた圧巻である。この時百閒は、70歳に近く、また病気持ちであった。奥さんと二人、何を持ち出すかと考える所など(この時、最後まで飼っていた駒鳥と鵯を、小さな籠に入れて持ち出そうとするところを読んだとき、最近読んだ『ある小さなスズメの記録』を思い出した。このスズメも大戦中も飼い主によって守られたのであるが…。結局火の手の中を逃げつつ果たせなくなってしまうのであるが、これも飼い鳥は火を見るとその中に飛び込んでいくらしいので、同じ死ぬなら一緒にと思ったらしい)、細々とした日々の生活が語られている。
しかしそこには百閒独特のたくまざるユーモアもあり詩情もあり、単なる記録とは違っている。
詳細は書くときりがないので止めますが、この中でも人々はやはり淡々と暮らしていく(暮らしていかざるを得ない)姿、百閒自身も嘱託とはいえ職場の日本郵船に水曜と土曜を除く毎日、出勤し続けているのである。その間、電車が不通になったり、空襲警報になったり。家の近くに不発の焼夷弾があり、自宅からの退避命令が出たので、と奥さんが四ツ谷駅まで出迎えに出たり、またお米が足りなくなり、借りたり、焼酎をもらって喜んだり、久しぶりにキャラメルを数個もらって、これがこんなに美味しいものかと感激したり、そのような庶民としての生活が具に書きとめられている。
その中でも今日の事柄と関連させて興味深かったのは、たとえば近くで爆弾が落ち火の手が上がり、もう少しでここもと思ったがそうではなく終わった時、焼け出された近所の人が表を通っていく姿を記した所である。「焼け出された人人が列になって通った。火の手で空が明るいから、顔まではっきり見える。東京の人間がみんな江戸っ子と云うわけでもあるまいけれど、土地の空気でこんな時にもさらりとした気持でゐられるのかと考えた。着のみ着のままだよと、可笑しそうに笑いながら行く人もあった。」
次の『いのちと放射能』は、チェルノブイリ原発事故に驚き生命科学者の柳澤桂子さんが、その後の残留放射能とその影響などについて書き(昭和63年10月)、それを文庫本として出版した(2007,8.15)ものに、付記として「新潟県中越沖地震で、柏崎刈羽原発で火災が起き、微量の放射能が大気と海に漏れた。この発電所は活断層の上に位置していることがわかった」を加えたものを、2011年4月5日に2刷したものである。
その「はじめに」の文章だけを紹介します。
「原子力発電に対する反対運動が盛り上がりを見せていることをたいへんうれしく思います。いろいろなものを読んでみますと、私たちは何も知らされていなかった、だまされていたのだという感をぬぐいきれません。
けれども、もし、私が経済産業省のお役人だったら、あるいは電気会社の幹部だったらこの問題を阻止できたかどうかと考え込んでしまいました。…中略…
ただひとつ、私は生命科学を研究してきたものとして、はっきりと言えることがあります。それは『放射能は生き物にとって非常におそろしいものである』ということです。そのことをひとりでもそれ多くの人に理解していただくように努めることが『私のいま、なすべきことである』と思います。」
ということで、ここにはなぜ放射能がおそろしいかが、誰にもわかるように説明されているのです。私もこれからこれを読むことにします。
参考までに、4月18日の朝日新聞の世論調査によると、原子力発電は今後、やめると減らす、を合わせて41%、増やすと現状程度と答えた人は56%、と出ていました。以上
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