今朝、花に嵐という感じの激しい風が吹き目が覚めてしまい、なんとなく胸騒ぎがしましたが、はたしてテレビによると、とうとう原発事故はチェルノブイリと同等のレベル7になってしまっていました。
このブログは私にとって呟きのようなものであり、でもツイッターというようなところには加わりたくなく、ここでは一応公開ということであっても守られているようで安心して書けたわけですが、もうこの件については書く気持ちすら失ってしまいました。
続きは各講師の話の内容をと言いましたが、皆著名な方、有名人で、著書もいろいろあるので
それら読めば自然にどんなことを話したかぐらいは推察ができ、私が紹介するまでもないこと
です。
それぞれの人柄の表れた興味深い話で、すべてに惹きこまれ、頷かされ教えられたりもしましたが、それをここで話しても何の面白味もありません。そしてこの問題を書き続けているのは、たぶん自分の不安をこういう形で放出しているにすぎないのだと気づいたのです。それゆえ最後にただ一つだけ書いて、やめることにします。
それは今回の原発事故のことです。これに私が敏感に反応したのは、テンノウヘイカの姿が出てきて、それが終戦の場面を思わせたからです。ああ、また私たちは(私と書くべきでしょうが大きな問題なので、どうしてもこう書いてしまう)、同じような過ちをしたのではないだろうかという思いでした。私の中で原発が戦争と重なったのです。
私は先の戦争のとき、児童期でしたから、変節とか責任というようなものからは免れていました。そして戦後の民主主義教育、自由平等、平和と戦争放棄という中で育ちました。けれどもいつの間にか、原爆を受けた国として、「過ちは2度と繰り返しません」(これも曖昧な表現ですが)といったにもかかわらず、昔日本国民が知らず知らず侵略戦争へと巻き込まれていったように、原爆に相当するものを持って、放射能を地球上にまき散らすに至ってしまっているのではないかという思いに突き動かされたのです。
今度の災害は、講師の内橋さんが言っていたように、単純な天災ではなく人災を含んだ複合災害だというところに、複雑な思いと戸惑い、強いショックを与えているといいましたが、その通りです。単なる地震や津波ならば、いくら想定外でも人間はその前にひれ伏すことしかできません。しかしいったん根こそぎ倒された草木でもまた自然の力によって甦ることができるかもしれないのです。しかし原発は人間自身がもたらした災厄で、不毛です。戦争と同じです。
知らず知らず私も、原発を作ることに加担していたのです。なぜなら、私は電気というものを使っていた、すなわち原発の恩恵を享受していたからです。戦後、戦争責任ということを問われたとしたら、震災後もやはり原発事故責任ということも問われなければなりません。その時、その問いは自分自身に向けられることになるはずです。
これも内橋さんの話です。真偽のほどは、私には証明する知識はありませんが、国には原発を作り始めたころから、100基の構想があったということです。今日本には54基あります。建設予定の物も何基かあります。最終的に120基だそうです。それらは国民的な合意もないまま作られていったのです。それに至るため極めて緻密な国家的戦略がとられた。その戦略は3つあります。(メモによるものですから少しは言い回しが不完全)
1、原発は安全という、緻密な説明というか証明。すなわち原発安全神話を作り出す。
2、学校教育。原発は安全、必要、といった教育を子供たちに行う。(これは最近新聞でも見ました。その教育をした校長先生が、子供たちにどう説明していいか悩んでいるとの記事)。また今日の朝日(夕刊)10面に資源エネルギー庁は、小学校高学年向けに作った副教材(福島第一原発の映像)のDVDの配布を中止したという記事。そこには「日本の原発は格納容器などに守られ、常に放射能も監視しているから安全だ」と案内している職員の姿が映っているとのこと。そのほか広報誌のこともそこには書かれています。
3、原発賛成の著名人、文化人を動員して宣伝。
これらのことが国家戦略としてこれまで続けられていたのだといいます。
これは戦前の軍国主義の方法論と同じであり、国民をある方向へ向かわせる国家戦略なのだというのです。そして原発反対を唱える科学者は、ドンキホーテと名付けられるらしい。
そして福島原発が何とか収束しても、それを機会にして原発を見直す方向に行こうとは考えてはおらず、ほとぼりを冷ましてまた作り続けるだろう。
そのほか今日の「不安社会」についてもいろいろ話されましたが、この原発のみにとどめます。
アメリカの原子力学者の言ったというスロー・デスの中に私たちは入ったのでしょう。しかしたとえそうであってもここから逃げ出すことはできません。同じ地震国であるニュージーランド(日本人学生が地震に巻き込まれたばかりの)は、それゆえ原発は作らないそうで(産業の違いもろもろあるにせよ)、それでその地に移り住んだという某有名人のようなお金持ちでない限りは。
またくだくだしい呟きをしてしまいましたが、もうこれで止めることにします。あとは自分自身の中で考えていくしかありません。
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