T温泉行き・つづき(蟹を折る話)

今朝はここも氷が張りました。
すっきりと伸びた水仙が、清らかな眸のような花を咲かせています。
梅はもう咲いているところもありますが、わが家の蕾はまだ固いです。
今年は蟹を折ってみようと思っているとき、原利代子さんの詩集『ラッキーガール』に出合って面白く思いました。原さんも旅先で折り方を習いながら蟹を折ったようで、四川省 松藩県の黄龍という名勝地を訪れたときのことです。今年の年賀状もアメリカコロラドの国立公園のアナザシ族住居跡という不思議な土地の写真でしたし、あちこち珍しい地を旅行されるようです。
題は、「黄龍の蟹」
時々 蟹を折る
正方形の紙一枚で蟹を折る
四川省 松藩県の黄龍へ登ったときのことだった
O博士が蟹を折ろうと言い出した
天までも届く無数の石灰棚から流れ落ちる水はあまりにも美しかった
博士は水の中に蟹を見たのだったろうか
 
ホテルに戻るとロビーでにわかの折り紙教室が開かれた
クロレラ研究の第一人者O博士の折り紙教室だ
ホテル備え付の質の悪い便箋を折り紙にし
博士は太った身体を丸め一気に蟹を折っていく
丸っこい指が器用に動き
二本の爪足と八本の足を具現していくのだ
 (中略)
 
(そして原さんをはじめグループの人たちは皆熱心な生徒となって一緒に折っていったのである。「蟹はまことに複雑な題材であった」と書いているように、初心者には難しい部類に入る。
一枚の紙であらゆる立体的なものを折りあげる日本の折り紙の精巧で複雑な技法は、芸術品とまでいえるくらいで目を見張りますが、それは到底かなわぬもの、初心者でも折れるくらいのものを習得するのがやっとですが、そこでも蟹はやはり難しいもののようです。原さんたちも、帰りの飛行機まで持ち越した人もあったようだが、原さんは無事習得されたようである。そして)
今でも ときどきあふれるように蟹を折りたくなるときがある
出来上がった蟹はボールペンで目玉を入れられテーブルの上に鎮座する
しばらくは ガニガニと足を広げそこに居るのだが
いつも いつの間にか居なくなってしまう
蟹は戻っていくのだろう
わたしの脳髄の奥深く
黄龍の石灰棚の清らかな水が流れ続けているところ
「蟹の折り方」というマニュアルのあるところへ
きっと戻っていくのだ          
まぼろしの蟹よ
 
                        『ラッキーガール』より
音もなく降り積もっていく雪の温泉宿、清らかな水が流れていく渓流の音を聞きながら折った私の蟹、少々ギクシャクしているのも表情があっていいといわれたその濃い緑の蟹はまだ棚の上に居ます。もう一度折るにはまたテキストを見ながらしか出来ないかもしれないが、その行為はまた雪国の清流へと遡っていく、私のまぼろしの蟹をつくることかもしれない。

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