月の明るさは照明の発達によって実感できなくなったが、それらを無くしてみると月の明るさに感嘆する。先日の台峯での体験はまさにそうで、懐中電灯の明かりしかない山中で、しかも向かいの山稜も麓に所々人家の灯火が見えるだけだったので、満月の明るさを全身に浴び、その色合いの神秘性を体感した。草むらの前方に薄の群れもあり、右上方には満月、そのずっと下にはなだらかな山並みといった情景は、懐かしい谷内六郎の絵のよう、まさに絵のような風景の中で、時代をしばし忘れた。人の顔もそこでははっきり見えるが、しかし昼間とは少し違っているのかもしれないとも思えるのだった。
源氏物語では、当然ながら月は舞台装置にはなくてはならぬものである。雨もまた道具立てとしてよく使われるが、月は何と言っても筆頭だろう。宇治十帖は、薫が道心追究のために山深い宇治の地に源氏の異母兄弟であるが不遇で落ちぶれている八宮を尋ねて、そこで宮が大切に育んでいる二人の姫君を垣間見る事から始まるが、そこでも月が大切な役割を持っている。
時はやはり秋の末、有明の月の頃である。すなわちちょうどこれからの時期ということになる。有明とは、朝になってもまだ月が空に残っている状態の頃なので、だんだん月の出が遅くなり、従って月が朝まで残る事になる。
八宮は近くの師とする僧都の所で修行に励んでいて留守、そこで薫は二人の姫君が奏でる琵琶と琴の音を耳にする。姉妹は警戒心も無く簾を巻き上げて月を眺めながら演奏している。(もちろん警護の者にしっかり守られている筈なのである)
もう馴染みになっていた薫は(宮の許を訪ねるようになって3年が経っている)、宿直の者に頼んで家の中に入れてもらっている。そこで月明かりで二人の姿をみて、たちまち道心は何処へやら恋に落ちるのである。
「源氏」は、演劇的だともいわれるが、むしろ映像的ではないかとも思う。物語絵巻があることからも分るように、場面場面は一幅の絵になっているが、この満月を少し過ぎた月の明るい夜、演奏する二人の姫君の姿があたかも眼に浮かぶような、しかも単にその周りの光景だけでなく姫君一人一人の容姿から立ち振舞い、またそれによって推理される性格や気質まで、詳細でいて簡潔に描写されているのには驚くほかない。まさに映像的であり、また演劇的でもある。
先ず濡縁に寒そうに細っそりした女童が一人、また同じような格好の大人の侍女が一人などがいて、ちょっと奥の方に柱に少し隠れるように坐って、琵琶を前に置いて撥をてまさぐりしている時(これが妹の中君である)、ちょうどその時、流れてきた雲に隠れていた月が「にはかに、いと、明るくさし出でたれば」、中君は、ー扇ではなくて、これ(撥)でも月は招くことができたようですよ!ーと声をあげながら月を仰ぐように顔をさしだすのです。ここで月の光で露わになった中君の顔を、「いみじく、らうたげに、匂ひやかなるべし」と描写する。それに対して、そひ伏したる(ものに寄りそうようにしている)していた大君はこれまで演奏していた琴の上に身を乗り出すようにして傾きかかり、笑いながらこう言うのです。入日を返す撥というのはありますが、月を呼び返すというのは、思ってもいませんでした、面白いこと、などといって笑いあうのです。その大君のけはいは、「いま少しおもりかに(重々しい)、よしづきたり(由緒がある、奥ゆかしい)」と、薫は眺めながら判断する。またこの会話から扇で入日を招くという漢詩のようなものがあるようで、姫君の教養の程も察しられるのである。
このように月明かりは、スポットライトとして、物語の中で重要な効果をあげ、男の恋心を煽る。薫はこの垣間見によって姉の大君に魅かれるのである。
では、この大君・中君と薫についてはこの次に。
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