芥川と北村薫の『六の宮の姫君』 及び  『今昔物語』

『源氏物語』と対極にある同時代の仏教や庶民の生活が書かれた説話集に『今昔物語』があるが、この話はそこに採集されていて有名(芥川が小説化したことによって)である。
前回にこの時代から女性の社会的、法制的に地位が下がり、「女は三界に家なし」になって行った究極の姿が、ここには描かれている。
「六の姫君の父は、古い宮腹の生まれだった。」が、時勢に遅れ昇進もしなかったから家は貧しくなるばかり、それでも父がいるうちは良かったが、その後は全く暮らしていけず、そのうち乳母たちの勧めで、ある受領(地方の長官クラスの階級)の心やさしい男と結ばれる。しかしその男が陸奥の国に赴任していってしまい残されると、たちまち暮らしが立たなくなってしまう。9年後、男が帰ってきたが、その時は彼の国での妻と子を引き連れてである。もちろんこの時代は、妻は何人いても構わないのであるから、元のところで何とか暮らしていれば良かったのだが、(『源氏』にも末摘花というお姫様は、そんな風に一度は見捨てられるが、その事を思い出した源氏によって、改めて屋敷に引き取られる事になる。その容貌が鼻赤であったり教養も古めかしい事があっても、一度思いを寄せた女は見捨てないと言うのが源氏なのである。しかもこの期間はせいぜい1年ぐらいである)その屋敷に行ってみると、崩れ残りの塀だけがあるだけで荒れ果てている。近くの板屋にいた見覚えのある老尼にその後のことを聞いた男はそれから洛中を探し回る。
そしてやっと見つけたのは、朱雀門の近くの軒下で、病人らしい女を介抱している破れた筵を羽織った尼、それが姫君の忠実な乳母なのであった。
『今昔』は、仏教を広めるための説話であるから、その男は、自らの罪深さと世の無常を感じてその後法師になるが、それを芥川は更に換骨奪胎して自らの作品に仕上げた。
もちろん芥川は、女性の社会的地位についての例として取り上げたわけではなく、むしろそんな風に解釈される事を封じるような文を別に書いているのだが、一つの現実として、そういう風な事実もあったと思われ、それが貴族社会『源氏』の世界とは別の庶民の世界、魑魅魍魎がひしめく京の周辺部が描かれた『今昔』に載せられていることに私は興味深く思われました。
さてさてそんな風に、女性の立場はほんとうに男次第であったことは事実で、『源氏』の中でも、いかに頼りがいのある男を姫君のために見つけてやれるか、それに汲々としているのです。それはもう今だって同じことかもしれませんが、今は女は一人でもなんとか生きていかれる、だけでも幸せと言わざるを得ません。
ここではそんなことを書くつもりではありませんでした。
この北村薫さんは、今年度の直木賞をとられた方、遅きに失したような大家で、その「六の宮」は、何故芥川はこれを書いたかという問題を、大学の卒業論文を書く女子大生を主人公(それにしてもこんな博覧強記の卵のような学生は今はいないだろうなと思わせるほど作家の分身)にしてのミステリ仕立てで、軽快なタッチながら面白く文学史上にも緻密で唸らせる作品である。
その内容は、読めば分る事なので紹介しませんが、ここには芥川の友人である菊池寛がこの作品を生み出す上で重要な存在で、これを読むと菊池の作品も改めて読んでみたくなりますし、その彼が創設した直木賞をやっと取られたことにも、ある感慨を覚えられたことだろうと思いました。
そして実は昭和2年の今日、この日7月24日に、芥川は薬を飲み自死します。理由は「漠然とした不安のために」・・・。その日は、その夏一番の猛暑だったそうです。
昨年はここもそんな風な猛暑でしたが、今年は戻り梅雨になって、蒸しはしますが気温は低く涼しいです。

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