モーツアルトのミサ曲と貴志康一生誕100年記念

4月24日、若い友人の属している合唱団コール・ミレニアムの第7回定期演奏会に出かけた。
太田区民会館ホール、アプリコ大ホール。JR蒲田駅の発着音が映画のテーマソング蒲田行進曲である事は知っていたが、このアプリコ辺が撮影所跡であることは知らなかった。
それと同様に、貴志康一という作曲家、というより演奏家・指揮者でもあったという天才的な音楽家の名前も知らなかった。生誕100年記念ということで、その「日本歌曲集」から合唱曲に編曲して演奏された。曲が知られていないからか、国際女優として名高い島田陽子さんをナレションとして迎え、総括指揮者である小松一彦氏とのトークをもまじえ、楽しく始まった。プログラムに掲載の貴志康一の写真を見ると頗るノーブルな貴公子然とした顔をしていて素敵である。帰って調べてみると大変な人であることが分った。
インターネットで見れば分るので詳しくは書かないが、1909年生まれ、お公家さんの家系で成功した裕福な大商家の出身、神戸でミハアエル・ウェクスラーに直接師事。3度もヨーロッパ留学、その中でもベルリン滞在時には作曲家・指揮者として活躍、自作の作品をベルリン・フイルハーモニ―管弦楽団と録音したりフルトヴェングラーとも親交あり、ストラディヴァりウスを購入など。1936年には3回日本でベートーベンの第九を指揮して、そのうち一回は新交響楽団(現NHK交響楽団)という目覚しい活躍ぶりで、湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞の後の晩餐会の時に彼の曲が流れたことは有名であるとのことだが、不肖私は全く知らなかった。
これほどの才能があり国際的にも大活躍した人であるのにあまり知られることがなかったのは、夭折したからであった。なんと心臓麻痺のため28歳いの若さだったという!西洋音楽の草分けの頃でもあり、才能がありすぎたために期待され活躍しすぎたからでしょうか。彼が生きていたら音楽地図が変っていただろうとも言われているようだ。
大阪でもこの生誕100年記念コンサートがおなじ小松一彦氏の指揮で大阪フイルによる演奏会が行なわれようである。ちなみになくなったのは1937年3月31日である。
ちょっと脇道に寄りすぎたが、合唱として歌われたのは
 *「行脚僧」 「かもめ」 「花売娘」 「風雅小唄」 
いずれも歌曲の中に東洋的な味わいをもつもので、今聴いても新鮮なものを感じた。
次に
 *ワーグナーの歌劇「ローエングリン」から馴染みのある婚礼の合唱。
後休憩。いよいよメインのモーツアルト
 *ミサ曲ハ短調 KV427
これはモーツアルトが父親の反対にもかかわらずウイーンでコンスタンツェと結婚して、何とか父に新妻を認めさせようとして作曲し、これを故郷のザルツベルグの教会で初演をしたという記念すべき曲。
スケールが大きく「大ミサ曲」の愛称を持つのも、新妻がソプラノ歌手であった事から、ソプラノのアリアを多く登場させ目立たせようとしているだけではなく、対立していた司教への反抗心もあって、壮大なものになっている。これを合唱団として歌い上げるのも大変な事であろうと友の努力を思い拍手である。  
 
西洋の夭折の天才のモーツアルトに対する、規模は小さいながら東洋の夭折の天才ともいえる貴志康一を、ともに楽しむことができた夜であった。

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