最後の寝台特急「はやぶさ号」に乗る

東京から九州に向かって走っていた寝台特急、ブルートレインといわれ愛されてもいたこの列車たちが、新幹線や航空機によって次々に姿を消していたが、この3月14日のダイヤ改正で全てなくなる。これを知った時、是非これで帰郷しようと思った。
昭和30年、「もはや戦後ではない」という言葉をスローガンに、国民生活も経済も高度成長の軌道に乗り始めた頃から、「あさかぜ」をはじめとして「さくら」「はやぶさ」「みずほ」日豊線に入っていく「富士」が、次々に登場した。
それから50年、全てが姿を消そうとしているのである。もちろん「トワイライトエクスプレス」など観光を目的とした、北に向う豪華特急寝台、それに類した列車が新しく登場してきたが、それはジャンルが違う。私が上京した頃は、これが輸送手段であり、庶民にはこれしかなかった。これに乗るのが移動の手段であると同時に、またこれに乗れることが憧れでもあった。これを手に入れることが難しい時期もあり、また乗る喜びがあった。ゴトゴト揺られて眠れない苦痛もあったが、朝起きて顔を洗い、ホテルに泊まった気分で食堂車に行く贅沢も時には味わい、上りでは車窓に大きく姿を現してくる富士山に声を上げ、また下りでは瀬戸内海を眺める楽しみや関門海峡のトンネルを実感がある。また門司駅では機関車の付け替えで少し長く停車する儀式が行なわれて、これは使用されている電流の違いだそうだが、二つの島がこれによって結ばれている事が知らされるのである。
さて、そう思うと廃止まで一ヶ月余、ぐずぐずしていると切符を手に入れにくくなると思い、早速行動に移した。案の定一ヶ月前の発売と同時に売切れてしまうようである。しかも私は今回はB寝台でもソロ(個室)があり、しかも解放寝台と同じ値段だということを知り、それを取ろうと思ったのだった。しかし手を尽くして4日目に、幸いにも手に入れることができた。何と言っても今は鉄キチという人が増えているようである。それに私のように懐かしさから思い立つ人もいるだろう。後で読んだ新聞記事によると、最終列車になる3月14日は、発売から10秒で完売だったという。手に入ったことに少々興奮しながら、その日を待った。
その日については、また稿を改めます。

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