温泉文化という事

温泉から帰った翌日の日曜日、正午のニュースが終ってから始まる、NHKのFM「トーキング・ウイズ・松尾堂」を聴いていた時の事である。この時間は長い間「日曜喫茶室」が放送されていて、昼ごはんの流れでよく聴いていたが、それが最終日曜日だけとなって、後はこれにリニューアルされた。たぶん若返りのためだろうけれど、内容は同じようで、オーナーや主人が最近話題になった人や本を出版した著者、いろんな分野の人をお客に迎えて話を引き出すという趣向なので面白い。
先には喫茶室だったが、松尾堂は本屋という設定になっている。
この日の二人の客の一人が山崎まゆみというエッセイストであった。温泉ルポルタージュというか温泉エッセイスト、日本各地のみならず外国の温泉まで訪ね巡っている人らしかった。彼女によるとやはり日本人は温泉好きで、日本の温泉はその数も多いが楽しみ方も独特で、世界に冠たるものらしい。
話題の本は『だから混浴はやめられない』という新書版で、混浴の温泉を訪ね歩いてのルポということ。そのほかにも温泉に関した著書も幾つか著しているようである。混浴を妙な好奇心からでなく、それを一つの文化としてとらえたもので、不思議にも読者はいわゆる「おじさん」達ではなく女性が多いのだという。
温泉は元々混浴が多く、それが野蛮、風紀の乱れというふうに捉えられたのは明治以後の近代化によるものだった。また西洋の医療や健康のためといった合理的な温泉利用と日本のそれとは違っていて、そのことも最近では西欧でも注目されているようである。
この温泉談義をここに書いたのは、著者の山崎さんが温泉に関心、興味を持ったそもそもの動機について語った時、T温泉の名が出て来たからである。
実は彼女の両親になかなか子どもに恵まれず悩んでいた時、子宝の温泉として有名な近くの温泉に行って、(と聴いた時、出生の地が長岡という事なので、もしやと思っていたらそうだった)逗留したら自分が生まれたと聞かされて育ったと言う事だった。そしてその温泉は36度〜7度ぐらいの長く入れる温泉だった、ということからますますそうだと確信した時、その名前が出た。
T温泉、すなわち栃尾又温泉は古い歴史を持つ温泉で、およそ1200年前、行基によって発見開湯されたと伝えられる有数のラジウム温泉で、湯治場として利用されるようになったのも400年前、子宝の湯として知られ、宿の隣には薬師堂があり、たくさんの絵馬やキューピーが飾られている。テレビにも放映された事もある。私たち常連にはもう子宝には関係ないが、その効能については、そのほかいろいろあるのである。
人肌程度なので、長く入ることが出来るのがいい。今回も、今日は8時間も入ったという声が聞こえてきたりした。毎日10時間ぐらい入って、ここで湯治しつづけたら糖尿病が治ったとか言う人もいて、また傷にも効くので、交通事故の後療養に来たりもするそうだ。
ここも最初の頃は、元湯に近いところでは混浴であった。それで私たちは入れずに旅館内の内湯に入っていたのだった。そんな事を思いながらラジオを聞いていたのだが、今や女一人、国内外の混浴の温泉を巡り歩く人も出て来たということで、楽しくなってしまった。各地でそれが復活もしているようだ。そしてそれを堂々と楽しむ若い女性も出てきているようだ。といって私自身はまだ混浴に入る勇気はもてないでいる。
露天風呂は、今でこそ男女別にしたり時間制にして別にしているが、そもそも区別不可能な状態である。
そもそもそれは自然の中に融合するような形であるから、そこには猿でさえ入ってきて良いわけであり、傷ついた鹿であってもいい、人間も動物も、また男女という関係でも妙な意識は取り払われていいわけである。
温泉の効能は、身体だけでなく精神的な効能も大きいだろう。こういう温泉の効能、楽しみ方は今西洋でも注目されていて、それに模した温泉地の開発も始まり、今年はフランスで「雪国と温泉」というテーマのシンポジウム(?)のようなものが開かれるという。もちろんこれは川端康成の小説と関連させてという事らしいけれど。
まさに裸と裸のコミュニケーション、自然との一体感、日本的なのであろうけれど、中東のハマス軍とイスラエル軍の兵隊とを同じ温泉に浸からせれば、戦争などしたくなくなるのではないかと思うのであった。

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