洞門山の破壊について

洞門山が無くなるかもしれないので、雨が上がった日に写真を撮ってきました。ほぼ全景を線路をはさんで両側から。近くからは赤いトンネル、たとえここが〈交渉の結果〉残されるとしても、埋められてしまい、入口から望める明るい出口の眺めはなくなるでしょう。穴を失ったトンネルは、穴のない竹輪が竹輪でなくなるようにトンネルではありません。確かこのトンネルは、手掘りと読んだ事があります。トンネルの出口は細い道に通じていて、そこを渡って小路に入った奥の方に好々亭があるので、お客が訪れやすいように主人がコツコツと掘ったと聞いています(?)。青の洞門ですね!これは確かではないけれど、大型機械ではないと思います。
その並びにある赤いお稲荷さんの祠も撮りました。ここにはまだ榊が供えられ、白い小さなお狐さまも何匹か飾られていました。ああ、お狐様、このお山をお守りください! 
この辺りの岩は柔らかく掘りやすいので、ここも岩をくりぬいたものでしょう。血で血を洗う合戦や権力争いの果ての死者が累々と眠るこの地で、崖にやぐらと呼ばれる横穴が墓場や土牢として多く使われてきたのも、そういう岩の質だからでしょう。
好々亭にも入って見ましたが、確かにもう廃業して、荒廃していました。人の手が入らないとたちまちこんな風に荒れてしまうのかと愕然としました。
引きかえし線路側に出てくると、そこに開発の計画図と、説明会の日時が書かれた立て札が出ていました。
そして今日、出かける予定があるので、駅に出たのですが、その立て札は写真にとらなかったのでカメラを持って行き、それにレンズを向けていると、男の人が寄ってきて、「ここが崩されるのですか」という。この辺の人ではないようです。「そうですよ」というと、でも「道がないではないですか」という。たしかにここには車が出入りする道がないのです。線路沿いの道は、自転車がすれ違うのがやっと、車は一方通行です。「トンネルの向こうにも道があるのですが」といって気がつくと、その道も車一台がやっとの細い道で、それは緩い上り坂になり八雲神社から円覚寺に通じるいっそう細い道になって行く。「道がないのにどういう風にして切り崩すのだろう」とその人は首をひねっていました。
すなわちこの洞門山と言うのは、好々亭を含むひっそりした家々と線路との間に立っている緑の屏風のような小山なのです。それをたった3区画(?)の宅地のために、崩してしまおうと言うのですから、理解に苦しみます。
そもそもこの辺の緑と言うのは、もうすべて屏風のように奥行きのない物になってしまっています。私がここに来てからも次々とそうなって行くのを眺めてきました。そして今度はいよいよ、駅近くの玄関口ともいえるここをコンクリートの崖にしようというのです。
駅への道に、やっと『洞門山を無謀な開発から守ろう』と、私も貰ったチラシを板に張った立て札が2本立ちました。昨日ゴミ当番表を回しにきた同じ町内のファンタジー作家のTさんにもこのことを言うと「知らなかった」といい憤慨していました。
「開発」と言う語には、プラスのイメージがあります。開発をする側にはその意識があるでしょうが、私はそうは思わないので「破壊」と言う語を使うことにします。
とにかく明日の夕方から公会堂で説明会(この語にも私は疑問を感じますが)がありますので、それを聞いてくるつもりです。ではまた。

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