博多うどん

昨日、民芸『坐漁荘の人びと』を観に行った。
年末の公演は、三越劇場となることが多い。大抵は東京駅から行くので、年末の駅の賑わいやビル街の年始にかけての装いなどを眺めながら、常盤橋のほうから歩いていく。
それでこの日のお昼は、久しぶりに東京駅南口の八重洲ビル地下街にある「博多うどん」を食べていくことにした。
昔九州から上京してきたとき、いわゆるカルチャーショックのような物を感じたけれど、うどんについてもその一つだった。東京のうどんは、汁の色が醤油色で濃い。向こうのは関西風に昆布だしで白っぽい。濃い、醤油だけで味付けしたような、うどんなどは○○が食べるような・・という風に差別語で軽蔑されるほどである。博多に、いや厳密に言えば福岡に帰ったときなど、何が一番食べたいかと聞かれると私は、「うどん」と答える。そして暫くはうどんばかりを食べ歩く。
「博多うどん」は健在だった。よくもこのような小さな、安いうどんだけしか置いていない店が、趣向を凝らし贅を尽くし、華やかな店が軒を連ねている中に生き残っているものよと思う。
正午を過ぎた頃だったが店は空いていた。土曜だからだろう。平日だといつも満席で混みあっている。たぶん近くの店員とか会社員が利用するからだ。いつも私は丸天うどんを食べる。丸天とは、さつま揚げのことで、その形の丸い物を指す。向こうでは、さつま揚げに類した物を天ぷらと呼ぶ。天麩羅も天ぷらである。さつま揚げも、「練り物」を揚げることでは変わりないからであろう。
しかしこの日は、ごぼう天にした。最近おでんにすることが多く、練り物を食べることも多くなっていたからである。ところが、「うどんだけですか?」と言われて、オヤ?と思いめぐらすと、厨房前に垂れ下がっている紙が眼に入った。ランチ定食というのが2つあって、Aが「博多うどん+いなり寿司」、Bが「ごぼう天+いなり寿司」とある。ああ、そうか。うどんは消化がいいので、男の人は大抵そのほか何かを取らねばお腹が持たない。
そういわれてみて、そのお稲荷さんも食べてみたくなった。ダイエットのことなどは考えないことにして、それを注文してみたのだった。これで740円(ごぼう天だけだと640円)。
天ぷらと名の付くものはこれだけである。かき揚げも、また値の高い海老天もない。一番高いのは鰊を載せたものぐらいだろうか。
このうどんの特徴といえば、特徴がないのが特徴というべきだろうか。讃岐うどんのように腰があるわけでもなく、姿だってどこにでもあるうどん、どちらかといえば柔らかく年寄りや子どもにには良い感じで、しいて表現すれば、しなしなつるつるした柔らかさで、なよやかな女体が湯船につかっている感じ。汁も始めはほとんど白湯ではないかというほどに薄いのだが、何度か口にしているうちに味がじわじわと広がってきて、いつまでもこのまま味わっていたい気分になるのである。それで塩分を考えれば汁は全部飲まない方がいいと思っても、最後の一滴まで味わいつくしたい気になるのである。
さて、食べにかかるのだが、かの地のうどん屋の特徴としてテーブルには丼くらいの大きさのすり鉢が必ず置いてあって、刻みネギが常に山盛りになっている。それをたっぷりとかけて食べる。もちろんここにも置いてあるのだが、皆白い。向こうでは青くて細い葱。香の良い、ビタミンもたっぷりありそうな細い刻み葱は白いうどんと見た目も美しいはずである。それに唐辛子の赤い色。
いなり寿司は、甘ったるくなく何となく家庭で作るような味であった。
とにかくうどんにしても稲荷寿司にしても、特別に目立つようなところはなく、贅も尽くさず洗練もされず、自己主張もなくといって卑下してもいない。淡々とした日常のような顔をしているのである。それはお袋の味なのかも知れない。だから時々食べたくなるのだろう
汁が白いものでは、有楽町の大阪のうどん、いわゆる、けつね即ちきつねうどん屋があって時々行ったが、無くなってしまった。新宿の紀伊国屋ビルの地階にも小さな店があるが、何となく落ち着かない。
またこの店には、学生食堂でも置いているようなチリ蓮華に似た木の匙のようなものもないので、熱い鉢を手で持ち上げて啜らねばならない。まあ町中の食堂という感じで飾りっ気もない。それゆえにきらきらした店に囲まれて気持が休まるのかもしれない。
地下街を抜けて駅の北口から地上に出て、常盤橋のほうに歩いて三越を臨む。銀杏が今黄金色に染め上げられ足元もまた落ち葉が散り敷いていた。師走なのに日ざしは暖かく風もなくその下に立ち、私はクリムトの画の中にいるような気分になりながら黄金色に包まれる。
公演については、次回に書きます。

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