木の実の季節

先月は北海道行きのため休んだ台峯歩きに今月は参加、朝は冷え込んだが、日中は暖かく秋晴れの気持の良い一日だった。
紋別での黄葉に包まれた日々が夢のように思われるほど、ここではまだ微かで、やはり例年より遅れている模様。それで今回は、特に木の実に注目しながら、そしてそれに集ってくる野鳥の姿や声を・・・とい歩きになった。総勢は16人ほど。
先ず目に付いたのは赤い実がかたまって下がっているビナンカズラ、コマユミ(マユミの小型)などは、住宅の中にもある。クロガネモチの大木にも赤い実がたわわだったが、これはわが家にもあって伸びすぎて屋根にかぶさってもきたので切らざるを得なかったのだが。それでこれに集っていたヒヨドリが来なくなって寂しい思いをしている。タラノキ、ミズキ(赤い茎に黒い実が美しく、山珊瑚と言われる)、アカメガシワ、ハコネウツギ、いずれも鳥の好物だという。種は赤い実に包れていることが多いが、クサギのように赤い萼が花びらのように開いた中に黒い種があり、そのコントラストも鳥に目立たせるためらしい。ムラサキシキブの実も確かに目立って美しい。高木になった野生のそれは甘いというので口に入れてみた。成るほど薄甘い味がする。実はあまり大きくない。見事に園芸種に改良されたものは口にする気にもならないが。ノイバラはローズヒップとしてハーブの仲間になる。イヌビワの実、これは黒く熟せば食べられるそうな。そのほかカラス山椒、ハゼ、合歓、シデ、この時期は実りの季節である。
それでこの道筋の田んぼの実りはどうかというと、もう稲刈りは済んでいて、稲架が出来ていた。暖かかったせいか切り株からまた葉がつんつん伸びて、実も(二番穂)つけている。これは人は食べないが、鳥たちの餌になるという。それなのになぜまだ鳥よけの網を掛けているの? と訊ねると、いやまだ網を取り込んでいないのですよ・・・と。まさにこの辺りでの田んぼは趣味か物好きでやらねば採算は取れないのである。噂によるとこの田んぼの持ち主は、半分はアメリカで暮らしているとかで、その半分を日本にいて田んぼ作りをしているらしい。いまの時代、贅沢な暮らしだなあ。実際はどうであれ、この田んぼがいつまでも残って欲しいものである。
澄んだ秋空に耳を澄ませば鳥の声は聞こえるが、姿はなかなかつかまらない。声はメジロとシジュウカラ(これらはわが家の方が間近に見られる)、アオジ(これもこれからこの庭でお目にかかれる)、ウグイスの笹鳴き、ヒヨドリはどこでもよく聞かれ、ルリビタキ、クロジ、カシラダカを見たかったが私の眼にはとらえられない。
ニホン蜜蜂の木の洞の巣には、少数ながら越冬する蜂たちが健在で、すでに群れを解散したスズメバチの女王が、越冬地を探して飛び回っていた。この時期は危険ではないといい、またこれがいることが自然の豊かさを示すものでもあるとのことであった。
ところで朗報。この台峯ができるだけそのままの形で残ることが、これまでは口約束のようなものだったが今度はっきりと、都市計画の中に市の買取と保存の確約が文書として成立したということである。内容についてはこれからも話し合いや監視の必要はあるけれど、とにかくこれまでの活動が形として実ったのである。しかしここに至るまでの困難、その歳月、費用、労力、これを見届けないで亡くなった人たちも何人かいて、自然を守るということはやはり並々ならぬ努力が要るというようなことを代表者は述べておられた。
どこであっても、自然を含めて昔のよき姿が残り守られているのは、そこに住む人たちの並々ならぬ努力がその背後にあるからで、それは通りすがりの者の眼には見えないという言葉は胸に響く。
実はこの谷戸の自然を写したカレンダーが今年は作られた。ここで生まれ育ったカメラマンが毎日のように歩きまわって撮った中から選りすぐりの写真で、芭蕉、一茶、子規の俳句を添えながらここの自然の魅力を紹介するものある。僅かながらもその販売の利益は基金として利用するということだったので、ここでも宣伝しようと思っていたのだが、たった250部しか作らなかったそうで、関係者だけでも足りないくらいになっているとのことで、残念です。そこでルリビタキの可愛い姿をしみじみと見ています。

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