「台峯を歩く会」100回記念

今日も冷たい雨になりましたが、先の日曜日もこれ以上に冷たい雨でした。
それでも「歩く会」の100回記念日ということで、参加しました。私はそのうちの一割余りしか参加していない新参者ですけど。雨にもかかわらずいつもよりも多くの人が集りました。元会長のなだいなださんも、一時はお身体の調子が良くないとのことでしたが元気な姿を見せられました。
Mさんが100回までの経歴をざっと話されましたが、それによると始まりは30年前の1976年、それはそこに開発の兆しが起こったがきっかけで、それを阻止し、ここを残さねばという動きから始まったのでした。その後この会が発足(名称は少しずつ変わったが)、それから8年4ヶ月ほど毎月歩いてきた事になるとのこと、そしてやっと今、それが実を結んだということなのです。これは毎月欠かすことのない歩く会を支えてきたMさんたち有志たちの働きと、Kさんのように専門的な知識を持ちこの土地に深い愛情の眼差しを注いできた人たちの地道な努力があったためだと改めて感じられました。最初は、強権的な態度の市役所も最近は世の流れも変わり、市民の意見もよく聞き担当者も勉強するようになって、ずいぶん対応が変わってきたそうです。
幸いにもこの緑地(湿地帯)は残される事になりました。この時点ではやっと「基本構想」から始まっで「基本計画」までたどり着いた(後は「基本設計」の決定で工事が始まる)のですが、まだまだ問題はあり、危ういこともいろいろあるようです。でもKさんたちの交渉の努力によって、湿地帯を縦走することになっていた幹線道路が、そこに入らずに尾根筋を通るように変更されました。そのほかいろいろ、出来るだけ現状の生態系を崩さないように、またその生態系がよく維持できるように人が手を貸す形で関わっていくような形にするにはどうしたらいいか、難しいこともあるようですが。
Kさんが力説するのは、この辺りは他の緑地と違う特異性を持っているということです。
単なる里山ではなく、湿地帯であることから、原生的な緑地に戻りつつある里山だということ。湿地帯が生命の源である事は当然ですが、そのため繊細微妙な性格を持っているということです。ですからすでに整備された隣接の中央公園と同じように手を入れられては台無しです。
そのためには人が立ち入れない、生き物の聖域の確保が大切だというのです。そのためにも道も歩きやすい木道などは作って欲しくない。(実はわたしの散歩道の六国見山も、最近整備されて林は伐採され、道は拡幅された木道となり、あっけらかんとした見晴らしも良くなって明るい公園風になってしまいました)
これらの事が、これからどのように実現されていくのか、見守るためにも歩く会はこれからも歩き続けていくようです。

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