ムクドリの雛は無事。

台所や庭に出て耳を澄ますと、しきりにジャジャジャ(ピヨピヨなどと可愛らしくはない)という雛らしい声がきこえてくる。
雛は無事に育っているらしく安心する。
餌を運んでくるのは朝方や夕方が多いようで、日中はシンとしている時もある。だがやたら騒がしい時があって、そんなときは他の鳥の鳴き声もして、カラスがいることが多い。騒がしいのは親が辺りを警戒して、威嚇の叫びを上げているのか。だが考えてみれば、戸袋というのはなかなかいい場所だな、と思う。雨風は防げて、人の手が入れるようにえぐられた部分を持っているので、そこを出入り口にすると住処となる。穴はカラスが入り込むには小さいのである。ただ最大の障害は人間であろう。だからそこがほとんど使われていないところだと、ちゃんと観察した結果でもあったのだろう。しかもそこの真向かいの、かなり離れた場所にテレビアンテナが立っている。そこからは辺り全体が見下ろせ、また戸袋には一直線だ。うまく選んだものだ。
しかし巣に餌を運び入れる瞬間を見ようとするのだが、それを見るためにはかなり不自然な格好をして待たねばならないのでなかなか果たせない。
昨日は真夏日になったところもあって蒸し暑かった。日が大きく傾いた夕方、六国見まで散歩した。ウグイスもまだしきりに鳴いているが、ホトトギスの声があちこちする。「目に青葉 山ほととぎす・・」である。ホトトギスが生きられるのも、托卵するウグイスがいるからであろう。だが卵を預けるウグイスがいない場合、本当にホトトギスは自分で卵を育てられないのかしら。それともただ子育てがうまいウグイスに頼って怠けているだけかしら、などと思う。
電線の上で盛んに囀っているホオジロが一羽いた。囀りは縄張り宣言や雌を呼ぶときなどとよく言われるが、胸毛をふくらませ、嘴を天に向けて胸を張り、声高らかにしきりに囀り続けるその姿を見上げながら、本当にそういう限られた目的だけだろうか、という気持ちがする。雨がちだった日の貴重な晴天、涼しくなった夕方の空気の中で、快く嬉しくなって、心から楽しい気持ちで美声を張り上げているのではないか、自ら楽しんでいるのではないかと思わせるものがあった。

カテゴリー: 日録 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です