「吉屋信子展」とバラ園

もう梅雨に入ってしまったのでは・・と思わせる日々だが、今日の新聞でもこのところの日照時間は平年の5〜7割とかで、入梅も早まるか? と出ていた。
昨日も午後遅くから雨となったが、その前は薄日が射したりして出かけるには快適な日であった。
「港が見える丘公園」のバラ園も見ごろだろうと思って、近代文学館に出かけた。
吉屋信子は幅広い読者層の人気を得ていた女性作家で、少女小説から始まって家庭小説、歴史小説へと幅広く活躍したが、文学全集などには入ってはいない。私も少女小説以外の作品は読んでいない。いわゆるベストセラー作家で映画や演劇にもなったので、作品そのものを読みたいとは思わなかった。しかし最近は田辺聖子「ゆめはるか吉屋信子」の著書などもあって、関心と興味が湧いていたのだった。
会場は生涯を6部に分けて展示されていた。
    1部 生い立ち
    2部 「花物語」の誕生
    3部 「女流」の主役へ
    4部 戦場へ
    5部 新たな境地へ
    6部 歴史小説の大河
後年、ベストセラー的な作家であった丹羽文雄からもその稼ぎ振りを羨ましがらせたほど(展示資料による)の人気作家となったのは、もちろん本人の才能と努力によるものだが、バックに時代があったような気もする。それが3部によく表れている。
すなわち吉屋を作家として成長させていく過程に、近代史に名を残して行く女性たちとのかなり密な交流が見られるからである。平塚らいてう、岡本かの子、山高しげり、宇野千代、長谷川時雨、林芙美子など。特に宇野千代とは親密で、大森時代には近所に住んで行き来があり、男っぽく冷静で几帳面な信子と、女らしく情熱的な千代とは、正反対な性格であったため晩年まで「仲良し同士」であったという。千代はお喋りで、そのお喋りによって信子は「女」を教えてもらったという(資料による)。その千代の3度目の夫だったか、北原武夫との結婚式の仲人に吉屋と藤田嗣治がなっていて、その記念写真に同じ独特なオカッパ頭を二つ並べているのを見て可笑しかった。閑話休題。
とにかく当時の男性社会に立ち向かって行った女性たちの熱気に満ちた友情のあり方が窺われて、楽しくもまた羨ましくもあった。
それは会場に入るとき、又出てからも眺めて通るバラ園の豪華なバラの競演を思わせるものがあった。
大輪のものから「姫」と名づけられた小さく可憐なものまで、バラはこれからが見頃という感じで色と香りに満ちていた。
長くなるのでこれだけで止めるが、吉屋が女学校に入学した時に校長が力説したこと、「女性はその貞節を死をもっても守らなければならない」という言葉に、「それではどうして社会は公娼制度をみとめているのですか」と立ち上がって発言しなかったのだろうかと、日記に書いている。そういう気持ちはずっと心にあって、後にベストセラーになった「良人の貞操」もそんな気持ちから生まれたのだろう。
「女の戦争責任」ということも問題になるが、それはここでは手に負えないのでやめます。
今日も朝から晴れて気温も高く蒸し暑くなっていたが、急にバケツをぶち開けたような雨と風、久しぶりに横浜がホームランを何本も打って西武に快勝しつつあり、いい試合であったのに中断で残念。
世の中も気象も狂っていくようだ。

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