何という気象だ! 昨日は30度を越す真夏日の所ももあったのに、今日はまた寒くなった。
余りに暑いので昨日半袖のTシャツを着て、やはり腕が寒くなったりしたが、今日はまた長袖ウールシャツに変え、ホットカーペットや電気ストーブまでつけたりしている。しかも午前中から雷雲湧き出て、雨となった。
今日の新聞に、日本国際賞を受賞した英国の元気象局長官の話が出ていた。それによると地球温暖化を暗示する異常気象の原因は、「人間の活動です」とはっきりと言い切っているという。天に向かって吐いた唾が、私たちの身に振りかかっているのでしょう。
私は庭を歩いたり、ポストなど近所を歩く時は草履を履いている。これは気持ちのいいものです。しかし今日のように雨が降ると履けません。今朝も雨の中をカン・ビンを出しにいったのですが、そんな時は靴を履くのですが、最近は下駄で行くこともあります。でも急な坂になるとちょっと歩きにくいのですね。昔の人はよくこれでうまく歩いたものだなあと感心します。
激しい雨だと下駄ではダメですね。昔は高下駄というのがありました。つま先が濡れないように爪皮(つまかわ)というのをつけました。子どもの頃、下駄で過ごした経験を持つので覚えがあります。革靴などは高級品で、お金持ちしか持っていませんでした。
下駄は気持ちのいい履物ですが、音を立てるのでちょっと目立ちます。ハイヒールの音はコツコツといかにもキャリアウーマンの颯爽としたイメージがしますが、下駄はカタカタとかカランコロンとかいかにも長閑です。そんなことを考えていると、イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を思い出してしまいました。このブログにもかつてその面白さ、素晴らしさについて書いたのですが、その中の一節です。とにかくこのイギリス女性の奥地探検家の観察眼は詳細で鋭く、しかも先入観も優越感も持たない態度には好感が持て、明治の初めの近代化が始まろうとした頃の日本人の姿がビジュアルに描かれていてとても面白いのですが、彼女が横浜に着き、東京に近づいてきた時の記述です。駅に降りて彼女がびっくりしたことは、下駄の音だったということです。
「合わせて400の下駄の音は、私にとって初めて聞く音であった」と書きます。200人が汽車から降りたのでしょうが、その音がとても印象的だったようです。都会でもその頃は皆下駄をはいていたわけで、この下駄の音の印象については彼女だけでなく、いろいろな外国人が書いているそうです。確かにそうですね、今想像して見ると面白いです。それにこの下駄の音は個性が表れ、その音だけで誰が来たか分ると思います。荷風の小説にも「日和下駄」がありますね。
ついでに書くと、それを履いているから日本人は背丈が高く見えるとも書かかれており、つまり私などは下駄を履いた方がいいのですね。もっとついでに書くと「和服はまた、彼らの容姿の欠陥を隠している。やせて、黄色く、それでいて楽しそうな顔付きである」と。その通りで、イザベラの女らしい観察だが、日本が好きで、この国こそ楽園だと言い放った彼女の温かさが感じられる。また子どもについて「子どもたちは、かしこまった顔つきをしていて、堂々たる大人をそのまま小型にした姿である」とも。これはなぜか、想像してみてください。
最後にもう一つ、東京(江戸)に近づいた時の記事、
「品川に着くまでは、江戸はほとんど見えない。というのは、江戸には長い煙突がなく、煙を出すこともない。寺院も公共建設も、めったの高いことはない。寺院は深い木立の中に隠れていることが多く、ふつうの家屋は、20フィート(7メートル)の高さに達することは稀である」と。
その江戸は人口100万の、世界で一番大きな都会だったのである。ロンドンはその3分の1、しかなかったといわれる。見えなかったのは煙突が無かった、すなわち工業化されていなかったのである。その頃ロンドンは、世界で最初の公害で苦しんでいた。そこに漱石が留学のために派遣され、神経衰弱になって帰国した。近代化に対して、彼は疑問を呈している。近代化のお蔭で私たちは快適な生活を享受している現状であるから、なんとも言えないけれども・・・・。
昨夜のTV番組で、日本の故郷とも言える山村の風景、棚田や古い民家、茅葺き屋根が次々と無くなっていく様が報じられていた。近づかなければ見えなかった、木立に囲まれた世界一の大都会だった江戸、その生活こそが今考えればエコロジー的都会であり、それゆえに山村の豊かな自然も文化も存在しえたのかもしれない。郷愁に過ぎないとは思いながら、感じたのであった。
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