荒川選手が故郷に帰っておこなった凱旋パレードに、7万人以上が詰めかけたという。TVでも新聞でもその大歓迎の様が映し出されていた。日本では珍しいことではない。本人も喜びと感謝の気持ちを十分に表していたが、内心は少しばかりうんざりだと思っているのではあるまいか、と思うのは私だけだろうか。
群集にマイクを向けると、当然その演技への感動や励ましを述べるものがいるが、多くは「見ました」「見られなかった」、と「見た」か「見られなかった」かが重要で、あたかも初めてきたパンダか、多摩川に出現したタマちゃんを見に来たような感覚であるような気がする。
この物見高さは、人間であれば当然だが(類人猿もそうらしいが)、どうも度を越しているように感じられるのは、イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を最近読んでいるからかもしれない。
原文を読むのは大変なので、それを講義式に解説しながら読みすすめた「イザベラ・バードの『日本の奥地紀行』を読む」(宮本常一 平凡社ライブラリー)という新書であるが、すこぶる面白い。彼女は19世紀の女性としては特筆すべき大旅行家で各地を旅行していて、日本にも明治11年夏、3ヶ月間、東国と北海道を旅した。これはその時の記録である。女性であることからかえって先入観やそれまでの知識で眺めるのではなく、鏡に映すように物を眺め、細かに観察して、借り物でない分析力、批判力で記述している点、感嘆させられる。
これによって近代化がやっと始まった当時の東日本の世相が、まさに鏡に映すように浮かび上がってくる。このイザベラ・バードによる日本観を初めに言っておくと、この著書の巻頭に置かれた引用文のように日本は「穀物や果物が豊富で、地上の楽園のごとく、人々は自由な生活を楽しみ東洋の平和郷というべきだ」という記述に近いというのが、彼女の大まかな感想である。
もちろんそこには農村の想像できないほどの貧しさや、奇妙な風俗風習、またずっと付き添った通訳のずるがしこさや、役人の実態などマイナス面もきちんととらえているが、総体的に日本と日本人に好意を持っている。そんな彼女であるが、その日本人について、最も困り、奇妙に思ったのがこの物見高さだったのである。
障子と襖の日本家屋であるから、プライバシーが全然ないことが、英国女性としては我慢できないことであった。「障子は穴だらけで、しばしばどの穴にも人間の眼があるのを見た。私的生活(プライバシー)は思い起こすことさえできないぜいたく品であった。絶えず眼を障子に押しつけているだけでない、召使たちも非常に騒々しく粗暴で、何の弁解もせずに私の部屋をのぞきに来た。」
これは例外なく全ての場所で行われた。ある町に入って人に会うと「その男は必ず町の中に駆けもどり、『外人が来た!』と大声で叫ぶ。すると間もなく、老人も若者も、着物を着たものも裸のものも、目の見えない人までも集まってくる」。そして宿に着く頃には大きな群集となって押しかけてくる。・・・「何百人となく群集が門のところに押しかけてきた。後ろにいるものは、私の姿を見ることができないので、梯子を持ってきて隣の屋根に登った。やがて、屋根の一つが大きな音を立てて崩れ落ち、男や女、子ども50人ばかり下の部屋に投げ出された。」という状態になるのである。
即ちイザベラを道中悩ませたものは、付き纏ってくる「蚊」と「人間の眼」であったようだ。しかし彼らは皆おとなしく善良である。害を加えようとはしない。ただ見たいだけなのである。
イザベラが女一人で、馬でしか辿れない奥州や北海道の奥地を安全に旅行できたというのは、世界でも珍しいという。その頃のヨーロッパ、彼女の母国であるイギリスでも外国人の女の一人旅は、実際の危害を受けなくても、無礼や侮辱の仕打ちにあったりお金をゆすり取られたりするのに、日本ではそうではなかった。馬子でさえ、びっくりするほど親切だったと、イザベラは書いている。
これが私たち日本人の先祖の姿であり、性癖であるようだが、今でもそれは変わらないのかもしれないと思わせられる。というのも、もう一つ最近目にした記事があるからだ。
これは俳優の石田えりさんが某新聞に、有名になりたい人は多いだろうが大変だということを書いたコラムだが、彼女が一人落着いて、美味しいコーヒーを飲もうと小さな喫茶店に入った時のことである。
あいにく土曜なので満席になり、その時一人が彼女に気がつき、観察開始。「次に私に背を向けて座っていた2人のうち一人が席を移って観察開始。四つの遠慮のない目玉が近距離から、私の毛穴の位置まで確かめる勢いだ。その間、3人とも、無言。身動き一つしない。思わず笑おうとしたら、目玉がいっせいに私の歯に集中したので、わたしは驚いて口を閉じてしまった!」この無作法さは何だろうと、彼女は思う。一目見てギョッとする人がいても、そっと放っておいて上げるのが思いやりではないかーと。このようなことをあちこちで経験し、いまだ慣れることができないと。
個人を尊重する国では、たとえ有名人でも、いや有名人であるがためにかえって、そこにいても知らぬ顔、そ知らぬふりをしてその人が自由な気持ちになれるように計らってやることが多いと聞く。
大したことではない、有名税だといえば言えるだろうが、民族性というのは変わらないなあという思いと、だから今の世情を見ていて、かつて来た道をまた辿るのではなかろうかという思いもするのである。
広瀬中佐という人物を若い人は知らないだろうが、わたしは辛うじて知っている。日露戦争の英雄として熱狂的に国民から迎えられ、愛国心をそそった人物である。だが実は、功績といえば、旅順港に軍艦を沈めて敵艦が港を出ないように封鎖をする使命を帯びただけの、言ってみれば特攻隊のような役目をした人で、ただ杉野という部下がボートに乗り移ってこないのでそれを探しに爆薬を仕掛けた軍艦に戻っていく最中、敵の弾に当たって戦死したということから、部下思いの英雄像に作り上げられたのである。
その肉片が付いた(?)という軍旗が、全国を巡り、人々から大歓迎されたそうである。
この時期から、日本は戦争への道をひたすら辿ることになる。
私はれっきとした日本人だから私も決して例外ではない。日本は良い国だし、人間も決して悪くはなくおとなしい。今では個人主義もかなり根付いていると思う。しかし群集心理というか、群れになると個人の壁が訳もなく消滅し、個人の自由も、またそれへの思いやりもなくなってしまうのではないかと、自戒を含めて思ったのだった。
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