日本が金メダルをとった日、お葬式に行く

朝、ラジオでニュースを聴いていて荒川静香選手が金をとったらしいと分り、いつも朝はテレビを見ないのだが、急いで切り替えてみるとちょうどその演技の最中であった。見事な演技で、惚れ惚れと眺めたのだった。それから私は身支度をして葬儀場へと足を運んだ。
水橋晋さんのお葬式の日である。通夜とは違って午前中なので粛々とした感じで式は始まった。突然の訃報でまだその事実を受け止められないでいるということから始まる横浜詩人会会長の禿慶子さんの弔辞を聞きながら、涙がにじんで来るのを抑えきれなくなった。あちこちでそういう気配がする。
奥様の話では、朝7時ごろいったん起き、もう一度寝ようとしたとき激しい頭痛と同時に嘔吐が来て、救急車を呼んだが、その車中ですでに意識がなくなり、病院でその後手を尽くしたものの夜10時頃、帰らぬ人となったそうである。その前の晩まで気分よくお酒を飲んでいられたそうである。訳詩誌「quel」次号の発刊準備も着々としており、元気な(といっても目まいや心臓不調などで病院とは縁の切れないお体ではあったが)様子を電話や手紙で、何人かが確認しており、本当に誰もこのように急に逝ってしまわれるとは思っていなかった。
本人でさえ、自分が死んだとは思っていないのではあるまいか、と水橋さんの写真を遠くから眺めながら思った。
日本の金メダル獲得と、うっとりさせられる美しい演技に国中が沸いている。もちろん私もその快挙に心が躍った。何度見ても美しく見事だと見ほれるような演技が出現したということが、素晴らしいと思った。
この映像を水橋さんは、もう見られないのだなあと思うのだった。見たいと思うかどうかは別にして、もう見られないのだなあ・・と思うと、この世での水橋さんの不在を感じる。ああ、もう遠くへ行ってしまわれたのだ・・・・。
ニュースで沸き立っている世の中と、水橋さんの棺に付き添って霊柩車に乗っていく親族とそれを見送っている私たちと、そこに見られる大きな落差。世の中と個人の関係を見る思いがした。「方丈記」で言う、川の流れとそこに浮かぶ泡(うたかた)・・・。私たちは皆そんな風に生まれては消えていくのだろうなあ・・・。水橋さん、とりあえずさようなら、私もそのうちに行きますからね。

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