今年最初の台峯歩き

昨夜、久しぶりの雨で、しかも雷も伴った激しい雨だったが、今朝は気持ちよく晴れ上がって、気温も3月下旬の暖かさという。
「台峯を歩く」日だったので、出かけて参加する。
花や紅葉があるわけではないが、湿った落ち葉や枯れ草を踏んで、すがすがしく裸木になって空にそびえる林を歩くのは気持ちがいい。
やはり少しずつ様子が変わっている。開発工事が行われていた第二の田んぼ付近、先月は何とか金網を潜り抜けて突破したのだが、今度は通り抜けられないようにもっと頑丈に棘の針金が巻きつけられているという。一人二人なら無理すれば通り抜けられそうだが、集団だと目立つし何かと非難されるだろうということになって、車道の長い迂回路をたどる。
今年は鳥の姿、特に冬にわたってくる鳥が少ないとの事。しかしカシラダカが見られた。そのほか高い梢で群れているエナガ、コゲラ、シジュウカラ、メジロなど、昨日の雨で餌が取れなかったので、一斉に出てきたらしい。しかしそうだと言われるだけで、私の双眼鏡では彼らがなかなか識別できるものではない。
高いところを飛んでいるのはヒメアマツバメだと教えられる。カワラヒワは私の庭でおなじみだ。コジュケイの声が聞こえた。木々が葉を落としたこの時期のほうが鳥の姿を見るのには適しているようだ。
今年がこの台峯の存続についての正念場だ、という。
今朝の新聞に「緑より防犯を/変わる公園」として、各地の公園で樹木の伐採や間引きが行われていると報じられていた。樹木がほとんどなくなり殺伐とした公園の写真が載せられていた。確かに異常な犯罪が次から次に起こるこの頃、防犯は必要だろう。しかし安全でありさえすればいい、という考え方もおかしいのではないだろうか。
安全から言えば、この湿地帯の谷はかなり危険なところだろう。だから今でも、ここに足を踏み入れる時は谷に向かってお辞儀をし、入らせてもらいますと声を出して言うしきたりだと案内者に教えられた。
そういうことで気を引き締めなければ怪我をすることがあるからだという。
危険といっても足を滑らせそうなところが少しあるくらいだが、その傾斜の細い道を、蔓やブッシュや木の枝につかまりながら下りていくのもまた面白いわけで、それを人工のコンクリートのしっかりした、しかし単調な階段になってしまったとしたらまったく趣のないものになってしまうだろう。そんな小さなこと一つとっても、これをどのように残すかは、行政のセンスにかかっている。それに反映させる住民の意見、センスにもかかっている。しかし世の中は時として大きな声の方に靡いていくから、皆も声を出してくださいといわれるが、それはしんどいことだなあと思う。
今日の素晴らしい収穫を一つ。
それは谷底を歩いていた時、ムラサキシジミ蝶に出会ったことである。蝶は普通羽を閉じて止まるが、そしてまさにシジミほどの小さいこの蝶も初め教えられてみた時はそうだったが、ひとたび飛び立ってまた崖に止まった時、羽を広げその青紫の美しい色をしっかり見せてくれた。そっと出来るだけ静かに脇を通り過ぎる一行が皆見届けるまで、あたかも見て、見て・・・といわぬばかりにじっとしていたのである。
この蝶は,冬越しをするという。それで日の当たるところに出て、日向ぼっこをしていたのである。

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