映画「春の雪」を観る

藤沢の東急ハンズに行ったついでに「春の雪」を観た。
これは三島由紀夫の晩年の長編連作小説全4巻の第1巻目に当たるが、全体を貫くテーマはここに出ている。
三島の作品については、通り一遍の知識しかないが、惹かれる面と反発したい面を持っている。禁断の恋(これは東西共通で、日本でも「伊勢物語」から「源氏物語」、姿は変わっても近松の心中物に引き継がれた恋愛の本筋である)と転生がテーマである。
私はそれらの内容よりも大正という時代をタイムスリップして味わいたい、特にここでは上流階級(文化の贅が尽くされている)の住まいや日常生活が映し出されるはずであり、それらに対する興味の方が強かった。若い監督とそのスタッフによる美術や衣装やセットによって、一応満足が得られた。
大正時代は、急激な近代化を押し進めた明治時代がやっとある成果を上げてほっとした時代、日清日露で戦勝国となり自信も金も何とか潤ってきて、文化的にも一種の爛熟期、デカダンの時代でもある。しかしそれもわずかの間で、次には昭和という戦争の時代に突入するのである。
この映画でも重要視されているのは夢日記である。夢日記で始まり、叉それで終わる。人と人の結びつき、その究極である愛も、その夢の中で果たされるしかないのであろうか。この世に生まれ変わり生き返って、転生はするが、それもまた夢であり幻視であり、現世はやはり荒野、砂漠であるのだろうか・・・・。
今原宿の若者たちの間で、ファッションとしての着物が流行っているという。羽織1000円、着物も5000円くらいで手に入れられ、ブーツをはいたまま着物を着たり、勝手な愉しみ方をしているという。
竹下夢二などで象徴されるように、大正時代は庶民も爛熟した文化の香りを愉しんだ。しかし軍靴の足音はひしひしと近づいていたのである。その大正時代に似た雰囲気を若者たちは好んでいるようだ。もちろん私もまたデカダンには魅力を感じる。だが今この国には、ヒルズ族と言う成金の上流社会が形成されていると同時に、下流という言葉が流行りだした。社会や政治も変になってきている。何か大きな恐ろしいものが近づいてこなければいいのだが・・・。

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