台峯(田んぼについてーつづき)

台峯が残ることになったのは嬉しいことですが、市の管理になるため、その残し方が問題になります。隣接地に中央公園があり、大きく緑地を残し市民の憩いや散策に供されることになった事はそれはそれでいいことですが、この地をそれと同じに、公園的に整備されては何もならないからです。
日曜日に歩いた時も、車道からそれて、細い道に入ろうとしたとき、様子が大きく変わっていたことに声を上げてしまいました。内部に手を入れるために車が入れるようにと4メートル道路を作ったり、駐車スペースを作ったりすることは仕方ないことでしょうが、その調子で機械力がぐんぐん入ってくるのではないかと、不安を覚えました。
いえ、そんな話よりここでは田んぼの続きを書くことでした。
ここの田んぼの水は、川から引くのではなく、山肌からじわじわとにじみ出てくる「絞り水」によってまかなわれています。谷戸には水場があり、それが流れになっていますが、それも同じように周辺の山肌から出てくる「絞り水」が集まったもので、ちゃんとした水源のある川ではないのです。ですから乾燥期の冬場でも田んぼは湿っています。棚田なので、水気も下の方に行くに従い少なくなり、乾いてきます。そういう微妙な上下の湿気の違いがまた多様な生き物を生息させているのだそうです。
さてその田んぼですが、ここの2箇所のほか中央公園にも1つあります(もう一つ笛田にもあるとのこと)。この公園の田んぼではボランティアの人や子どもたちの体験学習のようなもので田植えから収穫などをやるそうですが、その米つくりに米の本場の青森からわざわざやって来た人がいたといいます。それはあちらでは収穫本位の大規模農業であり、米つくりの本当の面白さがないからだと言うそうです。
「利活用」の時代だからと案内者は言います。「利」がないと物事はすすまず、また残すことができない・・・と。この田んぼを耕している人も、採算を考えたらやってこられなかったでしょう。米つくりもコンピュータで・・・という傾向がすでにあるそうです。
大金持ちがいて、この田んぼを買って、道楽として残させてくれないかなあ・・・など言い合ったものです。
でもホリエモンさんは、田んぼよりコンピュータ、インターネットでしょうね。
こんなことを書いているのが、まさにそのインターネットというのは、まったく自己矛盾!ですけれど。

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