チェ・ヨンミ(崔泳美)『三十、宴は終わった』を読んで

解説を書いた佐川亜紀さんからこの詩集が送られてきたので読みました。
題からでも分るように、30代のこの女性の詩集は百万部も売れてベストセラーになっているのだそうです。日本では考えられないことです。韓国での詩の位置が日本とは大きく違うことは、よく言われることですが、実際私も一度だけソウルに行った時に大きな本屋に行き、その様を実感しました。
大胆に性を描いたことでも話題を呼んだということは、いまだ儒教精神の根強い韓国だからで、日本ではとっくに開放され、そういう詩人も何人かいるわけですが、それだけでなく、若い感性と肉体を通した心情の新鮮さ、またしっかりした批判精神もあって、魅力的です。
民主化運動のための学生運動の挫折や、失恋などが背景にあるようですが、都会に暮らす若い女性の心をつかむものが確かにあり、多くの読者を得ただろうということも分ります。
「ああ、コンピュータとセックスができさえすれば!」(Personal Computer)というフレーズなどは,「私はお釈迦様に恋をしました」(お釈迦様)と書いた林芙美子を思わせますが、彼女のように元気溌剌とした上昇志向ではなく、暮らしに追われる人々に中に身を添わせるところがあります。
「詩」という題の詩は「私は私の詩から/お金の匂いがしたらいい」に始まり、「評論家一人、虜にできなくても/年老いた酌婦の目頭を、温かく濡らす詩/転がり転がり、偶然あなたの足の先にぶつかれば/ちゃりん!と時々音をたてて泣くことのできる//私は私の詩が/コインのように磨り減りつつ、長持ちしたらいい」で終わります。
イタリアの詩人ウンベルト・サバの「石と霧のあいだで/休日を愉しむ、大聖堂の/広場に憩う、星の/かわりに/夜ごと、ことばに灯がともる//人生ほど、/生きる疲れを癒してくれるものは、ない。」(ミラノ)[須賀敦子訳]というのに近い感じがします。
とにかくこの、詩に対する彼我の違いはなぜだろう・・・といつも思います。国情の違い、民族文化の違いでしょうが、これを読みつつ思うことがありました。韓国には両班(やんばん)の制度がありました。これは中国の科挙制につながるもので、高等文官試験のような役人の登用試験で、男子一生の仕事として、これに合格することが出世する第一の道です。もちろんこれにははじめ文と武があり、実践的なこともあったでしょが、何しろ試験ですから、教養の度合いや詩文の暗記、作成、そのような瑣末なことに精力が注がれることになります。韓国では李朝、その支配階級だけが科挙を受験でき、それが両班、すなわち特権階級であった文官です。ベトナムも詩の国と言います。韓国と良く似ていますが、そこも科挙制が最後の王朝阮朝まで続いています。
振りかえって日本を見ますと、科挙制は採用されませんでした。宦官制度もなかったように。日本は文化的には京に天皇という文化の拠点は残しながら、実権は江戸の将軍であり、これは武であり、サムライであり、軍事政府です。
中国でも韓国でも、またベトナムでもトップに立つ人間は、文章家であり、詩人であることが多いのはそのためではないでしょうか。日本で付け焼刃的に和歌を詠んだり、古典を引用したりするのとは、土台が違うような気がします。
(断っておきますが、私は歴史については疎い人間です。これはまったく知らないことの恐ろしさで、勝手なことを類推しているにすぎません。)
こう考えると、日本はずっと武の国であったのだなあ、と思います。だから黒船がやってきた時、うまく立ち回れたのかも知れないし、それに比べて大国である中国がめちゃめちゃに侵略されたのは文の国でありつづけたからかもしれない。
そう考えると、今しきりに刺客などを放って、巧みな戦略で獅子吼をする人物が人気を集めるのも、むべなるかな、と思わずにはいられません。
詩人が韓国のように、多くの人々に浸透できるようになるのは至難の業かも・・・と思ったりしています。

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