『かはたれ』朽木祥作(福音館書店刊)を読む

朽木さんは、近所に住むファンタジー作家で、これが第一作です。頂戴して読みましたが、自然や人に対する細やかな感受性があって、詩情も豊かで快い空気に包まれる感じがしましたので紹介します。
このファンタジーは、−散在ガ池の河童猫ーという副題が付いているように、河童族の大騒動の中で一人ぽっちになってしまった子河童が、子猫に姿を変えて人の世界に紛れ込み、同じように母を無くして父親とラプラドール犬と暮らしている女の子とひと夏をすごす、出会いと別れの物語です。その中で女の子はその悲しみを自分で少しずつ乗り越え、また子河童(猫)も長老の教えを時々思い出しながら(霊力が衰えて時々河童の姿に戻ったり・・)人間世界での修行を積んで成長していきます。
「かはたれ」時とは、「いろいろな魔法がいちばん美しくなって解ける、儚い、はかない時間ね」と亡くなった母親の言葉として解説していますが、そういうあわいを美しく大切なものとみなし、イギリスの詩人キーツの詩の「耳に聞こえる音楽は美しい、でも耳に聞こえない音楽はもっと美しい」のように、耳に聞こえない、眼に見えないものに耳を澄ませ眼を凝らそうとする作家の意図が作品の底に流れているのも、朽木さんが妖精の国アイルランド文学の研究者であるからでしょうか。
物語の舞台になる散在ガ池周辺には5つの沼があり、その周辺の地図が表紙裏に描かれていて、もちろんこれはフイクションですが、散在ガ池という名は、この近くに実在の池に名を借りています。というよりこの現実の地に幻視したものではないかと私には思えるのです。というのもこのあたりは私が住み始めた頃から急激に開発が進みました。そういうことへの愛惜と嘆きの気持ちがもう一方にはあるのではないかと、同じ気持ちである私には思えるのです。最初の大きな開発から辛うじて残った近くの切り通しも、ここでは「落ち武者の道」と名づけられ登場させられているので、嬉しくなってしまいました。けれどもこの幻視された河童の国にも開発の波が押し寄せている現実もちゃんと描かれています。また残された自然の身近な動植物への眼差しと描写にも楽しませられます。
どうかこれを読んで興味や関心をもたれた方は、図書館でリクエストなどして読んであげて下さい。大人でも(というより大人の方がと言いたいほどレベルが高いです)十分に楽しめます。

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