駅 岩田まり
京浜工業地帯
新芝浦駅にいったことあるかい
朝 小さな電車がやってきて
ぎっしり詰めた男たちを
機械の部品のように吐き出すんだ
プラットホームを過ぎるとすでに工場の入口だから
窓にむかつてごちゃごちゃと欠伸をしていた男たちが
口を閉じて儀式のように出て行く
純粋に働く人だからね
昼にはからっぽの電車がゆったりと
海を埋め立てた運河を行ったり来たりして
魔法の乗り物みたい
夕方には
キオスクの
あまり若くない女の人ふたりの腕が急に忙しくなって
ぬうっと顔を出す
今日の仕事を終えたのっぺらぼうの男たちの手に
次からつぎへと缶ビールを手渡す
白い腕と太い腕が宙を切って
缶が開けられ
缶が捨てられ
ダンボール箱にあふれていくんだ
いくつもね
すると
夜の電車がやってきて
水たまりのようにできている赤ら顔の男たちの輪
みんな
一気にかっさらっていく
彼らの小さな家にね
カール・サンドバーグ『シカゴ詩集』のページみたいな駅なんだ
私がこの詩は面白いとか、いい詩だとか感じるときの一つの重要な基準として、わかりやすいということがあります。この詩はとてもわかりやすいと思います。書かれている内容は奥行き、広がりもあるのですが、それにもかかわらず、すこしも不明瞭な感じを受けません。
それはなぜなのかと考えてみますと、一つはこの詩のリズムにあると思います。ひとの話し方や声には
それぞれ独自のリズムや音色があって、時には話すことばの意味よりも、さきざまなことを相手に伝えます。
嬉しいとき、淋しいとき、そして駅を見ているとき、その話すリズムや声の音色は恐らくそのときだけのものがあるのでしょう。それがこの詩の魅力であると思います。
それともう一つ、(これはリズムと深い関係があると思いますが)この詩が平明で的確であるということです。そして、最後にもしかしたら、これがいちばん大事なことかも知れませんが、作者が街や駅や、そこに生きる人間に対して熱い関心を抱いているということです。そのためにこの詩全体が優しく哀しく、そしてユーモアが漂っているということだと思います。
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