川越文子「園丁は静かに歩く」大地が育むもの

園丁は静かに歩く    川越文子

太陽はまだ低く
春菊の露をかすかに照らし出す
葱の筒は夜の話をすいあげたまま
丸く丸く立てり
大地み畝の穴にも
いまだ残る夜の声
ひとつきりの美を称えるかのごとく
雑木林の枝に張りめぐらされた蜘蛛の網に
露 光る
朝ぼらけ 白い背中
まあ お父さん速いこと
もう草取り?
いえ振り向かないで
わたしが横を過ぎるまで
死ののちもこうしてときどき
庭に出でくるお父さん
山裾の雑木林で樫の葉が一枚落ちたのだ
谷川の水が
その葉を乗せてこっちへ来る
わたしが立つところまで
園丁は静かに歩く

                  ※

 この詩は短くて、小さい詩ですがきらりと詩人の光を放っている、私にはそう思えます。
最初は古文の調子を感じさせながら朝の大地(畑)が目覚めていくのが語られています。
大地か育むものは春菊や葱や大根や無花果だけではなく、私たちの言葉も同じかも知れない。古文は私たち今使っている言葉の根であろうか、それがこの詩の初めに使われているのは、消して偶然ではないと思われます。そうした畑のなかで亡くなった父と出会うのは自然であり、しかも奇蹟でもあるのでしょう。
とにかく、この詩人は、朝の畑のなかで、父を見た。
それがこの詩の始まりである。

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