三井葉子「秋の湯」のなかの「断絶」時間のなかで

断絶     三井葉子
夜中にデンワのベルが鳴って
いまから死ぬ

石原さん*が言った
わたしはちょっと考えたが
仕方がないので
どうぞ と言った
彼はそのとき死ななかったがさくらのような雪のふる抑留地シ
ベリアで凍っていたので、ときに解けたくなるのだ。
でも
凍っているからこそヒトとの間は断絶することができ
る。それこそがわたしたちが共生できる基なのだと彼は言った
のだ。
夕焼け雲が解けながら棚引いている
断絶も
共生も
もうわたしたちには用がないわね。
        *詩人・石原吉郎
         断絶―三井葉子詩集『灯色醗酵』から
 
                   ※
 
 嘗て私はこの「断絶」という詩を一度読んだことがあります。
 それはいつの頃のことなのかはっきりとは思いだせませんが、私が若かったということ、そして、この詩がとても大人びていて大胆な感じがしたことをよーく覚えています。
 「わたしはちょっと考えたが
  仕方がないので
  どうぞ と言った」
 この言葉を読んだとき、私はドキドキして何だか無性に「大人になるって大変なんだ」と思いました。
 
 今度、この詩を読んでみて、不思議なことにこの詩に対する感じは殆ど変わっていません。
 「大人になるのが大変」というのは「人間になるのが大変」というのに変わったような気もします。
 そして、はじめて読んだ時には殆ど気にかけなかった最後の゛断絶」という言葉が私の頭の上を雲のように流れていきました。
 さて、今回この詩は詩「秋の湯」の一部として発表されいるわけですが、私はこの詩のスケールの
大きさに大変感動しました。  
 そのスケールというのは「断絶」を原子とした宇宙のひろがりのような感じがします。恐らく、このスケールを支えているのは詩人と自死した友人との信頼であると思います。

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