黒い運動 小野原教子
南側の窓に木が並んでいて林のようになっている
季節の風は心地よくいつまでもここにいたい
あなたからの贈り物をもらう約束をしてわたしの黒い
ビーズの髪飾りを大きなライターに巻いてみた
なかみはなんだろうと想像してみてあふれだす透明な
いろたぶんきっとそれを注いでみると喉は喜ぶ
筆圧が強く誠実なかんじで埋められている面積の
広くて大きいのを指で触ってみる裏からも触る
傘の先から黒い水が垂れてきて雨は絵の具のように
なっているのは塗料それとも木を燃やした跡?
※
私がこの詩に惹かれるのは、この詩の形がはっきりとしているからです。この詩はそれぞれ二行づつで、その二行が同じ数の文字でそれぞれ同じに造られています。
全体の姿は優美な橋や瀟洒な建物のようにすっきりとしています。こうするためには、言葉の選び方や並べ方を
ひとつひとつについて、かなり注意深くする必要があるのだと思います。時には、その言葉本来の姿を加工しなければならないこともあると思います。でも、その苦労のあとは殆ど
目に残りません。
たとえば、いちばん初めの連。二行目の形式は保たれていて、しかも言葉は殆ど自然に書かれています。これと同じような五連でこの詩は成り立っているわけですが、一連一連の意味のつながりよりも、形の統一が感じられて私はそのことにとても惹かれます。
ただそうして何度か読んでいくうちに、オランダの画家、フェルメールの絵がふっと頭に浮かびました。
フェルメールの絵はすべての物を気持ちのいちばん深いところにひっぱりこんでくる。
それはどういうことかというと、私たちが日頃見たり、感じたりしている風物がそれが絵をとおして気持ちのなかに浸みこんできて、とても満ち足りた気分になります。
はっきりとはわかるわけではないのですが、恐らく、その秘密はフェルメールの絵の形式にあるのではないかと思えます。私は、詩にも必ず形があると思います。それは、いつもはっきりとわかるわけではありまんが。
それはそれとして、最後の連についてはとても怖い感じがしました。黒い水が流れているのはどこなのか? 私の部屋なのか? 私の家のなかなのか? それとも私の体のなかなのか?
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