雨にぬれた木 山田玲子
五十年まえ
わたしは堺市に住んでいました
二階の部屋の窓をあけると少し向こうに
石油コンビナートの建物がみえたのです
もっと前
二歳年うえの夫が子どもの頃に
そこは白砂青松の浜辺で
子どもたちは
家から裸足で泳ぎにいったということです
賑わっていた海岸
もうそのわが家はありません
家族のなかで
生きているのは わたしひとり
でも思うのです
横浜の中ほどに今住んで
雨にぬれた一本の木を眺めています
そのうちわたしもかならずいなくなる
でもこの木はなくならないでしょう
わたしより長生きするでしょう
桜も開き花見の人も集うでしょう
ふとわたし思います
わたしもやはり幸せなのだと
※
この詩はひと言でいうならば意味もとりやすく単純な詩です。でも、私はこの詩を宝物のように大切に大切にしまって置きたいという感じがします。お終いの節
でも思うのです
横浜の中ほどに今住んで
雨にぬれた一本の木を眺めています
そのうちわたしもかならずいなくなる
でもこの木はなくならないでしょう
わたしより長生きするでしょう
桜も開き花見の人も集うでしょう
ふとわたし思います
わたしもやはり幸せなのだと
を読むと何とも心が軽くなります。この節の前は一行開いていて、それが〈でも思うのです〉と始まります。私はここの処画とても好きです。
この明けた空白の一行に時の流れをありありと感じます。だからこそ、〈でも〉なのです。
そして最後に〈ふとわたし思います わたしもやはり幸せなのだと〉これはとても単純デ意味はよくわかります。たぶん私たちの幸せとはこういうことなのだと思います。
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