植木信子「便り」 詩を歩く

便り     植木信子
薄青い空間に
靄に覆われて笑っているひと
泣いているような
西の空は夕日があかい
誰なんだ 何故なんだ
朱色したとても大きい秋なんだ
黄金色の稲穂に刈り取りのすんだ茶色の田がまじり
遠くの山並みがあおい
すすきの穂が光って
白鳥のように下りの列車がすべっていく
ふるさとの便りを届けるなら
柿の実色した夕日が眩しくて どこかに
すすきだけの原があるのです
白い穂並みが海原のようにつづく真中を
道がまっすぐに延びている
誰かが一人その道をゆく
道は夕日に向かって延びていて
地平に消えていきます
日も暮れて
祝歌、太鼓も鳴って
びしょうぶつが影を落とします
暗い洞をぬけた半円の陽のなかに佇むひとがいます
はさ木の交叉する道で声をだしてわらうので
昔きいたあなたのようなので振り返ります
月画のぼって 田園は沈んでいって
星も落ちてくるようです
街の灯が懐かしく
秋の夜長
ふるさとに便りをしたためるなら
今年もお酒ができました お茶もうまく実りました
追伸として
 秋深い行道です
 暮れた大地のはさ木の辻にはびしょうぶつが並んで
 影を落としています…と
  ※びしょうぶつ 木喰いが作ったとされている微笑をうかべた一本彫りの簡素の木像
  ※はさ木 刈りとった稲を干す木
                        ※  
この詩を読んでいくと、どこかへ導かれていくようです。突然「誰なんだ 何故なんだ」と大きな声が
きこえてきて、とてもびっくりしました。でも、道は先の方に続いているようで、辿って行かずにはいられません。
 その風景はひとつひとつ細やかで思わず見とれてしまいます。なつかしいようでもあり、初めてのようでもあります。 
 いつの間にか日常から夢の世界へ、あるいは生の世界から死の世界へ導かれていきそうで、少し
怖い感じです。
 決してどこへたどり着くのか、わからないので、それが不安です。その一方で、私はこの詩を読みながら、宮澤賢治の世界や災害にあった東北のことなどを思い浮かべたりしました。
 多分、ここには「詩の道」があるのでしょう。それは宇宙の星のように人間の世界をめぐっています。
 多分、ひとの詩の道はひとつの星の道と同じように無限の時空に向かってひらかれているのでしょう。だから、この詩人は明日になると再び新しく詩の道を歩き始めるのでしょう。 
 「便り」というのは、多分、この人にとって詩の別名なのでしょう。。

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