神泉薫「忘却について」地平線

忘却について     神泉薫
わたくしたちがいま
忘却しているのは
もっとも等しく大地を照らしている 太陽
もっとも明るく夜空をてらしている 一番星
もっとも無防備な裸足に優しい 土の温もり 砂浜の清々しさ
季節に傾く雨の匂い静かな小鳥のさえずり
枝を這うカタツムリの歩みの ゆったりとした時間の豊饒
手をつなぐこと
頬に触れること
本当はひとつの椀で充ち足りること
充ち足りれば 永遠に争いは起こらないということ
「生き方はいくらでもある
ひとつの中心点からいくらでも半経がひけるように」
と綴った
ウォールデン湖畔に住んだH・D・ソローのまなざし
着こみ過ぎた衣類に
隠れてしまった新しい肌があること
人工の偽の皮膚を脱いで
大いなる自然の大気に まるごとさらさらされること
冬の時代に流され 翻弄され
掛け違えた胸のボタンを正す指がかじかんでいる
わたくしたち
生の中心に屹立する一本の志の鋤で
柔らかくも逞しい心を耕すこと
ときには
開いたままではなく
忙しない瞳を閉じること
さらなる沈黙のために 饒舌な書物を閉じること
閉じた視界の裡には
深々とした漆黒の夜が開かれ
決して忘却してはならない
もっとも強靱な人間の孤独が
生い茂る森のように目覚めている
                      ※
 この詩は警句のようであり、論理的緊張をはらんでいながら、しかも、どこか抒情的です。
 冒頭の<わたくしたちがいま/忘却しているのは>という問いが柱となって、その周りに壁や窓がつけられていくような感じがします。それらはひとつひとつ温もりがあり、やさしく、みずみずしい。
 だから安心してひとつひとつの言葉に導かれ、建物のなかを眺めて行くことができるのです。
その光景はときには今まで見たことがあるようなものであったりしますが、それにもかかわらず、初めの<わたくしたちが/忘却しているのは>という柱がしっかりと屹立しているから、全く新しいものと
なります。
 そして、このことが最も単的に現れているのが最後の三行です。
 <決して忘却してはならない
  もっとも強靱な人間の孤独が
  生い茂る森のように目覚めている>
 警句は外に向かって発せられるものであるが、この詩の場合明らかに内側に向かっても発せられている。これがこの魅力なのです。。

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