馬場晴世「断崖」 鮮やかな詩

断崖     馬場晴世
アイルランドの西の果て
モハーで
大西洋につき出た
切り立つ断崖を見た
十六キロにわたり
高さが二百メートルもある
柵が無いので時には
羊やひとが落ちるという
大地が終わる処
西風が強く崖は海と戦っている
海は白い歯を立てて
岩に噛みついている
落ちたら間違いなく死ぬ
その恐さをひとは観にくる
きっぱりと詩に直面したいとき
怖さを内包して切り立つ一行を欲するとき
死を飛び越す一羽の海鳥になりたいとき
  
           ※
 これはとても鮮やかで明快な詩です。
 使われている言葉のどれ一つとして不明瞭な感じは全くありません。そして文の形や一行一行の並び方もとてもくっきりとしています。
 
 一蓮目のまとまりも同じように殆ど曖昧なところがありません。そして、当然のことかも知れませんが、この詩が創り出すイメージも実にくっきりとしています。私は日頃から、いろいろな人の詩を読ませてもらっています。そのなかでもこの詩は際だって鮮やかです。
 月並みな言い方かも知れませんがまるで一幅の絵を眺めているようです。それどころか私は以前にこの詩と全く同じような絵を見たことがあるのではないかと思ってしまいます。
 それは、この詩にそれだけの力があるからだと思います。この力のもとは先程から書いているように、この詩の鮮やかさにあるわけですが、そのいちばんの奥には、この詩人の「覚悟」のようなものがあります。それは
<落ちたら間違いなく死ぬ その恐さをひとは見にくる きっぱりと死に直面したいとき 怖さを内包して切り立つ一行を欲するとき 死を飛び越す一羽の海鳥になりたいとき>です。
 言葉、文、イメージの鮮やかさはこの「覚悟」とお互いに照らし合っています。私はこのことを恐ろしいとも、とても魅惑的とも感じます。
 それは恐らく大自然に対したときに感じるものだと思います。
 またこの詩に惹かれる理由の一つは私が現在置かれている毎日の生活世界にあるとおもわれます。そこではいろいろなものが曖昧で、なしくづしで、不明確です。私はそれが嫌で本を読んだり、音楽を聴いたり、仲の良い友達とはなしたりして、できる限り明確な世界に生きようとしていますが、しかしなかなかうまくいきません。
 現在の私が住んでいる生活世界の曖昧さは多分かなり強固なものであると思います。そういうなかで、この詩に出合って私はとても勇気づけられました。

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